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サハリン・樺太旅行記(08年9月) ブログトップ
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サハリンを旅して [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

コルサコフから出航。さようならサハリンよ。
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2ヶ月に渡るサハリン・樺太旅行記もこれにて終わります。何かと写真のスキャンに手こずりまして、まあ時間を掛けたこと。デジカメの画像もたくさんあるので、スナップショットをいくつか載せます。
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ユジノ・サハリンスクにて。後からわかったことですが、バッチリときめたファッションで歩く女性のバックにはなんと「ドラえもん」が。
ロシアでも放送されてるのか?実に親近感が沸く。そういえばチェーホフ記念館には地元の子供たちの漫画やイラストが別室に展示されていて、ポケモンやルパン三世を真似てると分かる画があった。日本の漫画・アニメ文化は世界に浸透しつつある。
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レーニン像。ユジノ・サハリンスク市内。
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ユジノ・サハリンスクも中心街を過ぎると舗装もされてない道が多くなる。
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ウェディングカー。レーニン広場に向かっている様子。
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今回旅のガイドをしてくれたアレクセイ君(20)。彼は大学で日本語を勉強後、旅行会社にバイトで入って今回のツアーが初仕事。若干怪しい日本語を喋る彼だが、彼のお兄さんはモスクワで歌手として活躍中だという。これから数週間後に徴兵の予定で、一年間日本語を勉強できないのは辛いと話していた。旅行会社もこんなバイト君をいきなり一人で仕事をさせるというのも酷なことをすると思ったが、彼のおかげでノグリギでは学校に入れたし、バスの運転手に時間延長の交渉もしてくれた。

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ホルムスクの空。その2 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

追悼碑は王子製紙工場跡を見下ろせる所に在りました。向こうのほうに煙突の一部が見える。時間がなかったこともあって工場跡には訪れなかった。
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日本車が走ってる。う~んここはロシアなんだか。
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街中にある廃墟。いつの時代の建物か廃墟が目立つ。
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ホルムスクにある「海の博物館」。中はもちろん撮影禁止。今回の旅でスケジュール管理が曖昧だったからか、時間がなく、いけなかった所が多い。
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ホルムスクは日本の樺太領地前から軍港だったとか。大きな碇(いかり)。真岡町も戦艦の艦砲射撃で攻撃されたから、切っても切れない関係なのか。ちなみに旧ソ連の国旗のマークは鎌と鎚。
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艦砲。ひょっとして真岡町攻撃の大砲だろうか?
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この後、ユジノ・サハリンスクに戻ってお土産を買いにデパートへ。次の日コルサコフから稚内へと戻りました。今回はサハリン・樺太の奇妙な歴史とロシアの文化に触れた旅でした。また日本人や朝鮮人の流転の跡を巡り、今も残る問題を知った。残念だったのは行けなかった場所が多かったこと。観光地としてはまだまだ未発掘な所が多いけれども、もっとサハリンを知れたらなと思いました。
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ホルムスクの空 その1 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

ホルムスク(旧真岡)は小さな港町といった印象。無機質な集合住宅が崖の上にそびえ立つ。
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サハリンで走っている車は大半が日本車。中古車ディーラーが日本でまとめて買い付けてサハリンまで船で運んでくるんだそうです。ロシアのナンバープレートは幅広なので日本車に無理やり貼り付けられている。右側通行なのに右ハンドルは運転が難しいだろうに。でも左側にある日本車もあり(?)改造されているのだろうか?
ヨーロッパの街並みに見慣れた日本車。韓国製も見られる。
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市場の中に入ってみた。夏なので青果が多い。
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キムチが売られている。スーパーの中でもそうでしたが、お惣菜コーナーにはピリ辛のものが多く、在樺コリアンの食文化がサハリンで根付いているようです。アジアとヨーロッパの文化が混じるここは極東のイスタンブール?
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市場で出会ったのがこのお婆さん。朝鮮語を話せるメンバーがいたので声を掛けたところ、朝鮮語が話せたので領地時代に日本から樺太へと渡った朝鮮の方だった。終戦当時のことはあまり語ろうとはしなかった。
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ホルムスクの戦勝記念碑 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

ノグリギから夜行列車でユジノ・サハリンスクに着いた。朝からいい天気。
ホテルにチェックイン後、少しだけ部屋で休憩。ロシアでは今の季節にボイラーの点検をしており、日中はお湯が使えないことがある。夜行で二泊を過ごしていたので、ホテル側の配慮で少しだけお湯を出してくれるようにしてくれた。が、水しか出なかった。頭だけ洗って、体を濡れタオルで拭くにとどまる。

今日は車でホルムスク(旧真岡)に行く予定。真岡といえば真岡郵便局電話交換手の女性、集団自決が起こった町だ。

ウィキペディア『真岡町』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E7%94%BA

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ほんとに『世界の車〇』みたい。これもコソコソ撮ったもの。
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ユジノ・サハリンスク駅。ワゴン・タクシーがたくさん止まっている。

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ホルムスクへ行く道程がサハリンの印象を決定付けた。広大な風景が広がる。
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トウモロコシ畑。野菜は市場で見るものほとんどが栽培されているようだ。
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キャベツ畑。
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農村の風景。ブレてしまっているのはサハリンの道路事情の為。
郊外の直線道路なら80kmは出している。また道路のヒビや凹凸が所々にあって強い衝撃がくる。クッションのいい座席でよかった。
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そして着いたのがホルムスク少し手前にある戦勝記念碑。山の中腹にあるここは樺太時代、熊笹峠と呼ばれていた。
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大砲が向いているのは実は日本の方向。ここ熊笹峠で亡くなったソ連兵の名前が刻まれている。
真岡は樺太領地時代に王子製紙工場がある工業の町として栄えていた。ソ連の参戦により、海から戦艦の艦砲射撃で町は破壊され、真岡の人々は熊笹峠から豊原へ逃げようとここは大混乱になった。日本兵も退却していた為に、上陸したソ連軍は攻撃を緩めず、市民を巻き込み多数の犠牲者が出た。

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後になって分かったが、向こうに日本軍トーチカ跡があるそうだ。
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谷間に見えるのはホルムスクの街。
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サハリンの小学校へ。その3 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

追記。
ロシアでは教科書は買う物ではなく、借りる物として何年も受け継がれるそうです。日本やアメリカでは買ってからその内容を覚える方法をとりますが、ロシアでは内容を読んで理解するといった方法をとるそうです。これから新学期ということもあって教科書が図書室にまとめて保管されてありました。教科書の中には落書きも。
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本の表紙を表に出して保管している。ページが折れないだろうか?
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サハリン州の州旗など。
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歴史の授業は第二次大戦のヨーロッパ戦線のことまで勉強しているようです。兵器の名前も教えられているのか。ショーケースの中に模型があった。
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飛行機については詳しくない。
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カチューシャと呼ばれる多連装ロケット発射装置を搭載したトラック。
ウィキペディア『カチューシャ』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3

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JS-2。モデルはズヴェズタ社製と思われ(←妙に詳しい)122mm砲搭載。
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T-34/85。タミヤの模型で一度組んだことがある。85mm砲搭載。
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ハリネズミといえばユーリ・ノルシュテインの『霧につつまれたハリネズミ』(75年)だ。四つん這いになっているシーンはなかったが、「ヨージック」だろう。
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サハリンの小学校へ。その2 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

ここからは各教室を紹介。教科ごとに教室が分かれているのは日本と少し違う。
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さっそくこの教室はなんの教室だったか?授業の終わりは椅子をちゃんと机の上に。
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ここは化学の教室。元素記号はスイヘイリーベ ボクノフネ…後なんだったか。
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ここは数学の教室。壁には覚えやすいように方程式が。なんと数ⅢCで習う式まである。僕は文系出身だけど、サインコサインなどすっかり忘れてしまったな~。シグマとかルートとかさっぱりだろうな。
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数字の計算には色んな「問」と「答」があるんだよと、いい例。
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国語の教室にはロシア文字のABC。
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みんなが「チェブラーシカだ!」と言ったが、なんだか黒い正体不明のばったり倒れ屋さん。
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地下の倉庫にあったクロスカントリー用スキー板。冬の授業で使うそうだ。
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ランチルーム。すぐ隣に配膳室がある。僕の故郷では給食を食べるだけのランチルームという場所があって、その話をすると驚かれたことがあった。
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体育館。バレーのネットがあるが割と狭い。
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立ち幅飛びの線。ちょっと遊んだ。
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宿題を忘れたか、居残りさせられている子。僕もいつだったか苦~い思い出がある。
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運動場。古タイヤの馬飛び、鉄棒、サッカーゴールはあるが、野球のバックネットはない。
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サハリンの小学校へ。その1 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

午前中の予定が狂ってしまったので、どうしようかとガイドのA君が考えた結果「小学校へ行ってみますか?」という場当たりでも我々外国人には珍しいロシアの教育現場を見学させてもらえるように交渉してくれた。ロシアの義務教育は11年制。この学校はその一貫校。隣に新校舎がある。
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調度授業が終わった所(サハリン時間で1~2時過ぎぐらいだったと思う。)で、突如入ってきた日本人一行にワイワイ。「写真を撮ってくれ。」と催促される。みんなの制服は正装(男の子はスーツというよりはタキシードみたいに細身でスタイリッシュ。)黒一色だがデザインは色々あるのか?制服というのがないのか?
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後ろの男の子に注目。記念写真のイタズラは世界共通なんだな~。
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こちらはまだ授業中にも教室の中へ入ることを許された。パソコンの授業。義務教育の一環としてITの授業が進んでいるそうです。日本でも今では小学校から教えてるのかな?
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ロシアも英語の授業があり、英語で意思疎通を求められる。ノグリギという町はサハリンの北にある辺鄙な所だが、大人たちからも片言の英語で話しかけられることもあった。(その日の夕方、ノグリギ駅にて列車を待つ旅行メンバーによる。)「君は日本人か?」「ここに何の為に来た?」「私のお婆さんは日本人なんだよ。」など。交流を求める姿勢には遠きにありて想う国と人情かな。想わせるものがありました。日本経由で樺太にやってきた朝鮮人労働者と結婚した日本人は日本人と認められずに帰国できず、朝鮮分断のあおりをくい無国籍者になってしまった人もいる。

『在樺コリアン』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%A8%BA%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

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図書室。
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石油の町ノグリギ。その2 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

油田を観た後はノグリギの街中を見て回ることに。
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小雨が降るあいにくの天気で、霧が濃い。石油会社の建物。
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戦勝記念碑。ここは北緯50度線より北にあるので昔からロシア領。対独戦開始の「1941」と終戦の年「1945」の数字がある。独ソ戦は確かに1941年からなのだが、ドイツがポーランドに侵攻したのは1939年9月1日。ソ連は日独不可侵条約の密約から同年9月17日にポーランド東側から攻めて1/3を占領してしまう。さらにフィンランドにも侵攻している。
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向かって左は女性兵士のようだ。ロシア語で「万歳!」は「ウラー!」。
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サハリン出身の戦没者の名が刻まれている。第二次世界大戦のソ連の戦死者は諸説あるが1500~2000万人(日本の戦没者民間人合わせて約210万人)と多い。
花が供えてありました。(造花を含む。)
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近くの公園。
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サハリンの野良犬。茶色の犬は前足片方がない。
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ロシア正教の教会に入ってみることに。中は撮影禁止。ロウソクの炎に神様のぬくもりを感じた。
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石油の町ノグリギ。その1 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

寝台列車サハリン号の終着駅は石油の採れるノグリギという町。降りてみるとユジノ・サハリンスクよりさらに寒い。防寒着を用意するようにと事前事項にあったが、9月3日の曇天の空。気温は一〇度中盤ぐらいしかない。すぐにバスに乗り込んで凸凹のダート(未舗装道)を走る。旅行会社が計画したスケジュールには北方民族博物館でニブヒ族の舞踊を観ることになっていたのですが、着いてみるとそんなことをしてくれるような雰囲気ではない。こんな所に博物館?周りはなにもないのだ。駅を降りた時の印象としてもここで本当に石油が取れている町なのかと思った。博物館に行く途中には空港もあり、交通手段には苦労しない町のはずだが、小雨が降る天候により、陰気で寂しい田舎町といった感じ。

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ノグリギ駅。
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ここが博物館。周りは寂しい。
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博物館の中は撮影禁止。開館時間に訪れたが館長が不在で2人の関係者がいた。展示スペースはまずこの地で採れる石油、石炭の採掘の歴史と、算出データや作業服ぐらいしかない。展示はここにしかない言われた時には驚いたが、交渉により奥にある展示も観られるようになった。奥には先住民族の矢じりや住居のジオラマ、ロシアの伝統的な生活の展示があった。しかし、博物館というほどのものではない。まして、ユジノ・サハリンスクから夜行で何百キロと移動して観るほどのものではなかった。終着駅なんだから少しぐらい人が賑わう場所があってもと思っていたのだが、こんな所だとは。
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トイレまでの廊下。所々電気がついていない。なにかいるんじゃないのか?
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舞踊をみるはずだったのが大幅に予定が狂ってしまった。近くの学生の作った人形や手芸、アートの展示も見たが、仕方なく早目に切り上げて次の場所へ。小雨が降るあいにくの天気の中、油田へ。
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油田は背の低い樹が茂る丘の上にあり、重機で掘り起こした地肌むき出しのあちこちで油井のリグ(石油採掘器)が動いている。動いてないのもあるが、想像していたほどより小さい。
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ロシアは石油採掘量世界第二位の国。ここサハリンのノグリギも石油の採れる土地として発展しているのでは?と思ったが訪れてみると油田以外に何もない。空港もサハリン鉄道もここの石油に注目した運用なのだろうが、静かにリグが動いているだけ。米の石油会社の進出が進んでいるという。空港は米露の石油企業が利用するほかには一般の人はあまり使われていないそうだ。なんだか寂しい曇天の油田。
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サハリン鉄道の夜。 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]

「○界の車窓から」今日はユジノ・サハリンスク~ノグリギ間の鉄道の旅です。寝台付き列車、名前は「サハリン号」。今回生まれて初めて寝台付き列車に乗ります。樺太時代にあった鉄道を延長し、石油採掘が盛んなノグリギまでを結びます。予定ではノグリギにある北方民族博物館でニブヒ族の演奏、舞踏を鑑賞後、市内観光の予定。

ウィキペディア『サハリンの鉄道』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93

『樺太の鉄道』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93

宮澤賢治は樺太時代に農業学校の教え子の就職斡旋に樺太へと渡った。当時、列車に乗って『銀河鉄道の夜』の構想も練ったのではないかと言われている。

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2等寝台4人相部屋。
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話が前後しますが、ノグリギからユジノ・サハリンスクに戻るときの写真も混ざってます。暗かったのでブレてしまってるのが多い。
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ベッドメイキングは自分でしないといけない。
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絨毯の上にあるタオルケットは出発後スルスルと回収される。
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以前は食堂車があったらしいが今はない。なので夕御飯は(場合によっては朝も)買っておかないといけない。出発後に車内販売もあるがお菓子程度。
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写真がないが一車両の中に2つのトイレがある。しかし、動き始めてからでないと使えない。なんと便器の下が筒抜けで垂れ流しなのだ。
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ここはノグリギ駅構内の写真。本当はテロの標的にならないために駅の中の撮影はできないことになっているけど、ノグリギ駅は大らかな雰囲気。本当は警備員の目を気にしてコソコソ撮っていたけど。
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列車に乗っている時は意外と揺れるゴトンゴトンとした振動で眠れるか不安だったが、それよりも暖房が効いてるのか部屋を閉め切ると暑かった。列車もさいさい止まってばかり。停車駅もあるので深夜にも何回か止まっていた。これから行くノグリギについても話だけで未知なる土地への不安があった。何せ海外だから想像もつかない。草原や森林地帯をただひたすら走る列車。目に見る風景は100年前も今もないだろう。
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次の日の朝、終着駅ノグリギに着きました。しかし思わぬことがあったのです。
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