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ブログ引っ越し! [日記]

ブログの引っ越しをします。

はてなブログへ。
『いつかの卓上旅行』です。

まだ引っ越し途中ですが
登録よろしくお願いします。
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分解してみる [クラリネット]

素人が手を出してはいけないような気がしますが、教本通りに分解に着手しました。何しろボロい。汚い。臭うのでは清掃は仕方ない。

クラリネットマニュアル 日本語版

クラリネットマニュアル 日本語版

  • 出版社/メーカー: ヤマハミュージックメディア
  • 発売日: 2019/01/25
  • メディア: 単行本


教科書通りにクラリネットは(-)ネジで止まっているので、それを緩めてペンチで引っ張るとどんどん分解できます。ただ、古いネジは固着してしまっているので、2~3本はネジを舐めながらも、なんとか外せました。外せないとどうしようもないという場面は確かにあります。そこは自己責任です。
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年代物のホコリが溜まったクラリネット。油も溜まってギトギト。吹いてみようという気はしない。
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タンポは硬くなってて使い物にならず、外していきます。
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気になっていた補修の跡があるフィンガーレスト。
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ロウ付け?にしても頑丈に取り付けてある。オリジナルなら残しておきたいが…
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キイポストは残して歯ブラシで掃除してみました。これだけでも少しは奇麗にすっきり。

次は磨き作業をやっていきます。
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ペンツェル・ミューラー PENZEL-MUELLER [クラリネット]

格安で購入したクラリネット。届いた感想はというとボロい。臭う。触ると汚い。と散々なものでした。クラリネットについてリサーチをするとNY生まれのもう既にないメーカー、70年物の相当古いものということが判明。

どうやって使えるようにするかまずは勉強。

クラリネットマニュアル 日本語版

クラリネットマニュアル 日本語版

  • 出版社/メーカー: ヤマハミュージックメディア
  • 発売日: 2019/01/25
  • メディア: 単行本


クラリネットの基本的な知識、メンテナンスから分解まで詳しく書いた本書がとても役に立ちました。
まず専門的なことはプロに任せろと本書でも書いています。壊れたら新品を買えとも書いています。ただ写真付きで分解についても詳しく解説してくれています。分解に必要な道具、メンテナンスの解説等、それがとても為になる。まずはこれを読んでどういう構造で取り付けあるか、勉強しました。
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ベル部分に「GENUINE GRENADILLA PAT.APPLIED FOR」と書いてあるので純正グラナディラということらしい。木製なのはわかっていたけど本物とは。
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ベル部分の割れは元々樹脂で固めたものらしく、製造から経年劣化で割れたようだ。
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大きな割れはなし。
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次から分解やっていきます。
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買っちゃった。 [クラリネット]

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コロナ禍(「コロナわずらい」と読んでたけど「コロナか」でよいらしい。)で休業扱いになり、もう1カ月。5月31日まで延長も決まった。

部屋に籠るのも何か楽しく遊べるものがないかとヤフオクを巡回中にジャンク扱いの楽器が目に飛び込んできた。

「古いクラリネット ジャンク」1000円

暇なのは仕方がないが、何か手作業がしたいと思わず落札しまった。ジャンク扱いがどんなものかというと。
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到着後の開封レビューですが、状態。

4分割で入っていました。ケースなし、本体のみ。
マウスピースなし、リードなし。音が出るかすらわからない。
キイの動きは渋い、触るとネチャネチャする。錆がある。触ると手が汚れるくらい。
タンポはカチカチに固まってる。取れかかっているのもある。
ベル部分に割れあり、バレル部分にも割れあり。塗装が剥げ掛かってる。
サムレストに溶接跡あり。
全体的に臭うなどです。
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メーカーはPENZEL-MUELLER(ペンツェル ミューラー)。1899年~1950年代まで存在したアメリカのメーカーらしい。Artist MODEL LONG ISLAND CITY.N.Y.と書いている。素人が楽器の修理などできるのかと思いますが、クラリネットのこのメカメカしたギミックは見ていてとても面白い。金属を磨くだけで愛着が沸くのではないかと思い、これからまずは書籍から構造を勉強して音が出るまで素人修理をしていきたいと思っています。壊れるかもしれないけど、もし直ったらそれはとても素敵なものに変わるはずなのです。ニューヨーク生まれの70歳(ひょっとしたら100歳?)の老い楽器に再び生命を。
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ロシア人街 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

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中山広場の中国銀行大連分行(旧横浜正金銀行)
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ヤマトホテルの裏だったかな?
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バスで移動。ロシア人街へ。
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日本人街。戦前、高級住宅地だったところ。現在は共産党幹部の別荘地として人気だとか。
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大連のメイド喫茶。こんなものまであるのか。
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勝利橋(旧日本橋)の上。
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ロシア人街へ。日露戦争以前より中国への進出が激しい帝政ロシアの不凍港獲得として大連が注目されていました。ロシア人街を建設中に大規模な都市開発ができないまま、日露戦争が勃発したので大連でもロシア人街はここだけ残った。現在の主は中国人。
哈爾浜(ハルビン)でもそうだったのですが、ロシア文化の影響が残るところでもありました。お土産屋はマトリョーシカも売ってた。僕はCCCPの文字の入ったスキットルを買った。
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この後、大連国際空港で関空へ帰りました。
これで2015年の中国東北部旅行記を終わります。
あれよあれよと長引いて5年!2015年5月末の出来事をようやくまとめました。

最近のコロナウィルスの影響で自宅待機が続いている2020年4月末の現在。
「何かしたい!ブログをまとめる時間はたくさんある!」
と投稿意欲に火が付き、書き続けてきました。何もできない中、一つの大きな旅行記を書ききれたことに意義がある。旅行記の思い出に浸っていました。
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大連ヤマトホテル内部 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

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ここから大連ヤマトホテルの内部の画像。現在でもホテルとしての機能のほかに、中国共産党政府所有のホテルとして外交会議や晩餐会が開かれるところ。ガイドの人から共産党幹部と癒着している人物を写真に収めるだけで不当な逮捕をされるかもと念を押されました。晩餐会会場の大広間は映画『ラスト・エンペラー』でも撮影に使われた場所ですが、撮影禁止でした。
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見覚えがあるという方もいるかもしれない。江沢民や胡錦涛も座ったことのある椅子。日本の首相も座ったことのある場所。
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大連中山広場 大連ヤマトホテル [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

大連中山広場へ。ここはロシア統治時代はニコライェフスカヤ広場、日本統治時代は大広場と呼ばれた。1908年~1935年の間に日本人建築家によるゴシック様式、ルネッサンス様式の建築が立ち並んだ。
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大連民政署(旧大連警察署)
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大連ヤマトホテルは南満州鉄道が巨万の富を投じて建設された豪華絢爛なホテル。
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大連市内観光 その2 大連港 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

大連港へ。
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大連港は太平洋戦争終結で中国大陸から日本に引揚者たちでごった返しになったところ。1946年12月~1947年3月、大連港より20万3765人の日本人の引き揚げが行われる。その後も引き揚げが行われた。
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ホテルに帰る。〇ンリオのキ〇ィちゃんと〇ラえもんがコラボしてました。
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大連市内観光 その1 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

バスで少し移動して大連市内に入りました。
日露戦争後から太平洋戦争までの日本の史跡を巡ります。人民広場に向かう。
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大連市人民政府(旧関東州庁舎)
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東大安田講堂館に似てる大連市裁判所(旧最高裁判所)
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労働公園へ少し観光。日本統治時代は『西公園』、1926年から『中央公園』。
公園内で大きな筆で書を書くお爺さんを見つける。
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公園に集まってトランプゲームをする人たち。
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その後で中国茶の試飲販売のお店へ。中国茶道のマナー講座とかジャスミン茶を試飲したりした。
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水師営会見所 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

旅順203高地の観光の後で日露両軍の降伏会見場として使われた水師営に向かいました。
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203高地からはほど近い。現在周辺は住宅地になっている。乃木将軍、ステッセル将軍の会見所としてこの農家を接収して会見場とした。水師営は第一回総攻撃ですでに日本軍占領地になっていた。
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水師営の会見は1905年1月5日11時からの予定だった。旅順要塞司令官ステッセル将軍と参謀長レイス大佐、マルチェンコ、レブレスコイ両少尉と6人のコサック騎兵を連れて、水師営会見所に午前10時半に到着。遅れて乃木将軍は11時15分に農家に入った。同行者は伊地知参謀長、津野田、安原、松平の三参謀、通訳として川上俊彦外務書記官の6名。
会見では終始穏やかで両軍ともにお互いの軍隊を称えあい、双方の参謀を交えて昼食をとり、お互い無事に帰国できたなら文通を交わそうと約束。
午後1時15分には旅順に帰って行った。
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ステッセル中将が乗ってきた白馬。
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会見の前に1月2日午後1時、降伏条件を伊地知参謀長と交渉するために水師営に到着した降伏軍使レイス大使とシチェンスノビッチ大佐。前日の1日にステッセル将軍の降伏書簡を手渡していた。
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会見所の座った場所も実はどこに座ったかはっきりしているらしいがメモを忘れた。
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会見所の農家は1995年に建て替えられたもの。
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会見中の外の様子。
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会見所は1945年まで観光地として整備されていたようです。歌にまで唄われる水師営会見。
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会見の後で海外のカメラマンからステッセルの記念写真を撮ろうとしたが、乃木将軍はそれを拒んだ。「後世まで恥を残すような写真を撮らせることは、日本の武士道が許さない。」と「会見が終わり、友人として同列に並んだところならよい。」とあくまで同一条件を意識し、双方互い違いに座って記念写真に収まる。
画面中段左からレイス参謀長、乃木将軍、ステッセル将軍、伊地知参謀長。
画面手前左から、レブレスコイ少尉、津野田少尉、
画面奥左から川上俊彦書記官、安原参謀、マルチェンコ中尉、松平副官(この人はマルチェンコ中尉に対してどうしてか肩に手を乗せている。)、渡辺管理部長。
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写真は角度が少し悪いが乃木、ステッセル両将軍の写る有名な写真の場所はここで撮られた。写真の種類では画面右に植木(唄にあるナツメの樹?)があるのですが、少しトリミングされている。花壇はもちろん戦後に作られたものだが、入り口側の堀を背に両将軍が記念写真のために立っていた場所である。とても感慨深い。
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観光の後ですぐ隣の奥のレストランで食事。地元の人も利用するような場所だった。そして会見所向かいにお土産屋がある。ここは南満州鉄道社のマークの入った食器も売っていた。結局買わなかった。
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