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水師営会見所 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

旅順203高地の観光の後で日露両軍の降伏会見場として使われた水師営に向かいました。
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203高地からはほど近い。現在周辺は住宅地になっている。乃木将軍、ステッセル将軍の会見所としてこの農家を接収して会見場とした。水師営は第一回総攻撃ですでに日本軍占領地になっていた。
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水師営の会見は1905年1月5日11時からの予定だった。旅順要塞司令官ステッセル将軍と参謀長レイス大佐、マルチェンコ、レブレスコイ両少尉と6人のコサック騎兵を連れて、水師営会見所に午前10時半に到着。遅れて乃木将軍は11時15分に農家に入った。同行者は伊地知参謀長、津野田、安原、松平の三参謀、通訳として川上俊彦外務書記官の6名。
会見では終始穏やかで両軍ともにお互いの軍隊を称えあい、双方の参謀を交えて昼食をとり、お互い無事に帰国できたなら文通を交わそうと約束。
午後1時15分には旅順に帰って行った。
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ステッセル中将が乗ってきた白馬。
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会見の前に1月2日午後1時、降伏条件を伊地知参謀長と交渉するために水師営に到着した降伏軍使レイス大使とシチェンスノビッチ大佐。前日の1日にステッセル将軍の降伏書簡を手渡していた。
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会見所の座った場所も実はどこに座ったかはっきりしているらしいがメモを忘れた。
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会見所の農家は1995年に建て替えられたもの。
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会見中の外の様子。
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会見所は1945年まで観光地として整備されていたようです。歌にまで唄われる水師営会見。
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会見の後で海外のカメラマンからステッセルの記念写真を撮ろうとしたが、乃木将軍はそれを拒んだ。「後世まで恥を残すような写真を撮らせることは、日本の武士道が許さない。」と「会見が終わり、友人として同列に並んだところならよい。」とあくまで同一条件を意識し、双方互い違いに座って記念写真に収まる。
画面中段左からレイス参謀長、乃木将軍、ステッセル将軍、伊地知参謀長。
画面手前左から、レブレスコイ少尉、津野田少尉、
画面奥左から川上俊彦書記官、安原参謀、マルチェンコ中尉、松平副官(この人はマルチェンコ中尉に対してどうしてか肩に手を乗せている。)、渡辺管理部長。
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写真は角度が少し悪いが乃木、ステッセル両将軍の写る有名な写真の場所はここで撮られた。写真の種類では画面右に植木(唄にあるナツメの樹?)があるのですが、少しトリミングされている。花壇はもちろん戦後に作られたものだが、入り口側の堀を背に両将軍が記念写真のために立っていた場所である。とても感慨深い。
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観光の後ですぐ隣の奥のレストランで食事。地元の人も利用するような場所だった。そして会見所向かいにお土産屋がある。ここは南満州鉄道社のマークの入った食器も売っていた。結局買わなかった。
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