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旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その3 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

すこし時間を空けてしまいすみません。

大連、旅順、東鶏冠山、北堡塁跡の続きです。
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東鶏冠山を受け持った第11師団の攻撃時系列。

1904年8月19日~24日、第一回総攻撃、外壕発見。外壕に躍り込んだ隊は全員死亡。
10月30日~31日、第二回総攻撃。第22連隊(愛媛の部隊)、一角を占領も壊滅。坑道作業に転換。
11月26日、第三回攻撃、胸塔二カ所を爆破。第22連隊が突入も白兵戦で多くの犠牲を出す。占領地の維持ができなかった。
12月10日、総攻撃開始。
12月15日、勲章授与の為に兵舎を訪れていたコンドラチェンコ少将が砲撃で戦死。中にいた中国人スパイの情報だった。
12月18日、胸壁に仕掛けた2トンの爆薬を爆破。胸壁は崩壊。ロシア軍は僅か守備兵150名だったが勇敢に反撃。第11師団は戦死151名、負傷699名もの損害を受け激戦の末夜半に占領した。ロシア側は150名中92名が戦死するという玉砕に近い抵抗だった。
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記念写真用の機関銃。
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ロシア軍の大砲、実物大?の模型。よく似た大砲でM1877 107mmカノン砲がある。
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ここから東鶏冠山北堡塁の兵舎の画像。
兵舎は厚いべトン(ドイツ語でコンクリート)で覆われて200人規模の人員を守ることができた。しかしながらここ以外にも前線はあるし、日本軍の夜襲もあるし、全員がここには入れず、露天の塹壕か小さな詰所で寝泊まりしていたことと思う。二階立てて中間に板が貼ってあったという。
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