チェスキー・クルムロフ その2 [チェコ旅行記(10年2月)]
先の記事でチェスキー・クロムロフと書いてあるのに、ガイドブックを読んで気づき訂正しました。読みはどちらでもいいみたいです…。。
街の中心を流れるヴルタヴァ川。河川工事中でした。
チェスキークルムロフ城。すごい所に建ってる。
スヴォルノスチ広場。
聖ヴィトゥス教会へ。
チェコの旅もこれで終わり。チェコワインとクネドリーキ、ピルスナービール、古い街並み、美しい教会、マリオネット、とても感動した。
Na shledabou!「ナスフレダノウ」(さようなら)
またいつか。
次はオーストリアへ。
街の中心を流れるヴルタヴァ川。河川工事中でした。
チェスキークルムロフ城。すごい所に建ってる。
スヴォルノスチ広場。
聖ヴィトゥス教会へ。
チェコの旅もこれで終わり。チェコワインとクネドリーキ、ピルスナービール、古い街並み、美しい教会、マリオネット、とても感動した。
Na shledabou!「ナスフレダノウ」(さようなら)
またいつか。
次はオーストリアへ。
チェスキー・クルムロフ その1 [チェコ旅行記(10年2月)]
もうあれから4ヶ月か…。いつ終わるのやら…
この日でプラハとはお別れ。バスで南へ、チェスキー・クルムロフを観光後、オーストリアに入国。
ホテルから出発の朝。この日は月曜日で休日より人も多め。到着した日は日中の人っ気のなさに驚いて随分さびしい所という印象だった。プラハ市外に住む人が多いんだそうだ。
雪原のボヘミア地方を行く。やっぱり寒い。
昼食を食べて、いざ。
小さなマリオネットのお店。僕は前日に旧市街でピノキオとチェコピエロのマリオネットを買いました。
ほんとに小さくてかわいい建物がいっぱい。それにしてもオフシーズンは人影が少ない。
この日でプラハとはお別れ。バスで南へ、チェスキー・クルムロフを観光後、オーストリアに入国。
ホテルから出発の朝。この日は月曜日で休日より人も多め。到着した日は日中の人っ気のなさに驚いて随分さびしい所という印象だった。プラハ市外に住む人が多いんだそうだ。
雪原のボヘミア地方を行く。やっぱり寒い。
昼食を食べて、いざ。
小さなマリオネットのお店。僕は前日に旧市街でピノキオとチェコピエロのマリオネットを買いました。
ほんとに小さくてかわいい建物がいっぱい。それにしてもオフシーズンは人影が少ない。
カレル橋~旧市街 [チェコ旅行記(10年2月)]
ヴルタヴァ川に掛かるカレル橋は完成1400年。東欧と西欧を結ぶ全長516mの石橋で手すりに合計30体のカトリック聖職者の彫刻が並ぶ。(中にはフランシスコ・ザビエルの像もある。彫刻の設置は17世紀頃から。)
完成当時としてはヴルタヴァ川で唯一で交易ルートの重要な拠点だった。
ここからカレル橋。
この人はガイドブックの写真によく載ってる名物おじさんらしい。オルゴールを吹いていた。
流れ芸人というか実に画になる。
残念ながら修復中の工事の現場の中にあったザビエル像、大座にアジア人のモデルがいるらしいんだがはっきり分からなかった。
ここから旧市街。狭い通りにたくさんのお店が並ぶ。
旧市庁舎の天文時計。毎時間になるとからくり人形が踊るらしいがお土産を買いに行くので時間がなくって見れなかった。
向こうに見えるのはティーン教会。
ここからヴァーツラフ広場、時間がなかったので早歩きで騎馬像のところへ。
ボヘミア初代の王、ヴァーツラフ騎馬像。
そしてそのすぐ近くにひっそりとあるのがヤン・パラフ、ヤン・ザイーツの碑。ヤン・パラフは1969年当時大学生で前年のプラハの春でソ連の軍事介入に対する抗議として、このヴァーツラフ騎馬像の元で焼身自殺を図り、三日後に亡くなる。後を追ってヤン・ザイーツ(同じく学生。当時18歳)もこの場所で一ヶ月後に焼身自殺をする。
時は過ぎて1989年、ビロード革命でこの場所を100万人の民主化を願う人々が集まった。
母親がぜひとも来たかった場所で、日本から線香とロウソクを持参して碑に手向けた。
帰りに自由時間の集合場所のボヘミアグラスのお店。
夜の旧市街広場、ティーン教会。やっぱりブレた。
完成当時としてはヴルタヴァ川で唯一で交易ルートの重要な拠点だった。
ここからカレル橋。
この人はガイドブックの写真によく載ってる名物おじさんらしい。オルゴールを吹いていた。
流れ芸人というか実に画になる。
残念ながら修復中の工事の現場の中にあったザビエル像、大座にアジア人のモデルがいるらしいんだがはっきり分からなかった。
ここから旧市街。狭い通りにたくさんのお店が並ぶ。
旧市庁舎の天文時計。毎時間になるとからくり人形が踊るらしいがお土産を買いに行くので時間がなくって見れなかった。
向こうに見えるのはティーン教会。
ここからヴァーツラフ広場、時間がなかったので早歩きで騎馬像のところへ。
ボヘミア初代の王、ヴァーツラフ騎馬像。
そしてそのすぐ近くにひっそりとあるのがヤン・パラフ、ヤン・ザイーツの碑。ヤン・パラフは1969年当時大学生で前年のプラハの春でソ連の軍事介入に対する抗議として、このヴァーツラフ騎馬像の元で焼身自殺を図り、三日後に亡くなる。後を追ってヤン・ザイーツ(同じく学生。当時18歳)もこの場所で一ヶ月後に焼身自殺をする。
時は過ぎて1989年、ビロード革命でこの場所を100万人の民主化を願う人々が集まった。
母親がぜひとも来たかった場所で、日本から線香とロウソクを持参して碑に手向けた。
帰りに自由時間の集合場所のボヘミアグラスのお店。
夜の旧市街広場、ティーン教会。やっぱりブレた。
聖イジー教会~黄金小路 [チェコ旅行記(10年2月)]
聖ヴィート大聖堂の建築の美しさの衝撃でお腹一杯(笑)になった後、聖イジー教会~旧王宮~黄金小路でプラハ城の外へ抜けました。
大聖堂の東にあるのがチェコ大統領府、旧王宮と繋がっているらしい。(プラハ城の中からなので裏手になるのかな?)チェコの国旗はヨーロッパの中でも珍しい三角を取り入れている。もとはボヘミアの紋章から由来する赤白の国旗がポーランドと同じになった為、また旧ソ連が崩壊してロシアの国旗とも差別化を図った。チェコから分離独立したスロバキアは国章を入れて差別化している。
聖イジー教会。中は暗かったのか撮影禁止だったのか写真が残ってません…。おかしいな…。
これはどこかと調べてたら聖イジー教会から聖ヴィート大聖堂を見た写真でした。
黄金小路。小さくてかわいいお店がズラリと並んだ通り。楽器店、お皿、ワインなどお土産を売ってます。
そして外へ。門番御苦労さまです。
全てが美しいプラハの街。プラハ城から。
大聖堂の東にあるのがチェコ大統領府、旧王宮と繋がっているらしい。(プラハ城の中からなので裏手になるのかな?)チェコの国旗はヨーロッパの中でも珍しい三角を取り入れている。もとはボヘミアの紋章から由来する赤白の国旗がポーランドと同じになった為、また旧ソ連が崩壊してロシアの国旗とも差別化を図った。チェコから分離独立したスロバキアは国章を入れて差別化している。
聖イジー教会。中は暗かったのか撮影禁止だったのか写真が残ってません…。おかしいな…。
これはどこかと調べてたら聖イジー教会から聖ヴィート大聖堂を見た写真でした。
黄金小路。小さくてかわいいお店がズラリと並んだ通り。楽器店、お皿、ワインなどお土産を売ってます。
そして外へ。門番御苦労さまです。
全てが美しいプラハの街。プラハ城から。
聖ヴィート大聖堂 その2 [チェコ旅行記(10年2月)]
大聖堂の外からはカメラアングルに納まりきらないんじゃないかと、訪れた人は一歩下がってしゃがんで見上げるようにして撮っていた。14世紀後半から建築が開始され、1929年に一応の完成を迎えたゴシック様式の美の真髄。
そして中へ。
カトリック教会に入る時は男性は帽子を脱ぐように言われる。今回、観光で色々教会の中へ入ったけど、礼儀知らずにもときどきそのままで入って指摘された。女性は体の一部として許される。
この空間は神の存在さえ感じる。
大聖堂の中へ入って両サイドに見事なステンドグラスの装飾が施されている。
こちらがミュシャの手がけたガラス絵。ステンドグラスは色とりどりの色ガラスを並べて絵にするのに対してガラス絵は実際にガラスに描く方法。光と影の美しさ。
そして中へ。
カトリック教会に入る時は男性は帽子を脱ぐように言われる。今回、観光で色々教会の中へ入ったけど、礼儀知らずにもときどきそのままで入って指摘された。女性は体の一部として許される。
この空間は神の存在さえ感じる。
大聖堂の中へ入って両サイドに見事なステンドグラスの装飾が施されている。
こちらがミュシャの手がけたガラス絵。ステンドグラスは色とりどりの色ガラスを並べて絵にするのに対してガラス絵は実際にガラスに描く方法。光と影の美しさ。
聖ヴィート大聖堂 その1 [チェコ旅行記(10年2月)]
もうすでに3ヶ月も経ったのか…。5月10日現在…。
昼食を食べた後でメインであるプラハ市内の歴史地区観光。
世界で一番大きな城。プラハ城の中へ。
写真が大失敗した原因その1。冬空の曇天の中でCPLフィルターを使用したこと。暗い…。
門番の衛兵さん。城の中には大統領府もあるので御苦労さまです。
聖ヴィート大聖堂。建築のなんとも美しいこと。世界遺産は納得。
昼食を食べた後でメインであるプラハ市内の歴史地区観光。
世界で一番大きな城。プラハ城の中へ。
写真が大失敗した原因その1。冬空の曇天の中でCPLフィルターを使用したこと。暗い…。
門番の衛兵さん。城の中には大統領府もあるので御苦労さまです。
聖ヴィート大聖堂。建築のなんとも美しいこと。世界遺産は納得。
メルニック城~プラハの街 [チェコ旅行記(10年2月)]
メルニック城の観光の後で少し早目の昼食になりました。
ツアーで旅した三カ国のどの国でも路面電車がありました。特に旧社会主義国の電車は古い型でカッコいい。
チェコ料理は初めて。旅した三カ国のレストランで食べるときは必ず前菜にスープやサラダやハムなどが出てきて、メインディッシュに肉料理、最後にデザートといったコース料理。まずハムとピクルス、チーズ。
メインにロースト・ポーク、チェコ独特のクネドリーキと呼ばれる茹でパン、ドロッとしたザワークラウト。クネドリーキはベーコンや玉ねぎが練りこんであったが淡白な料理で一個食べるに時間がかかる。腹持ちはいいんだが、蒸しパンやウイロウみたい。味も薄目。
ケーキは杏ジャムの入ったパウンドケーキ。デザートはどこの国のも美味しかった。
チェコ・メルニック城 [チェコ旅行記(10年2月)]
旅行からあっという間の一ヶ月。もうそんなに経つのかと驚くほどの時のうつりゆき。
旅は刺激だから時間が経っても記憶として繊細に覚えている。見るもの全てが新鮮で、印象的だった。
英語を本気で覚えようかと思っている今日この頃。そんな暇あるのか。
さて中欧三カ国の旅。まずはチェコの旅から。もうダイジェストで載せていきます。
関空でツアーの参加者と添乗員さんと合流後、まずはルフトハンザ航空でドイツ・フランクフルト空港へ12.5時間のフライト。西へ飛行していたのでまったく陽が落ちないという不思議な時間を過ごした。そして窓から見えるロシアのツンドラ地帯というのか白い風景が見えた。
EU加盟国での空港便は国内便と同じ扱いなので入国審査はドイツで。フランクフルト空港はとにかく広い。関空が大きいなんて思わない方がいい。
乗り換えてチェコ・プラハのルズィニエ空港へ。フライト1時間。早~い。
オフシーズンのせいか人っけのない空港。
バスで移動してホテルへ。次の日より観光開始。
残雪残るヨーロッパの街というのか全ての風景が画になる。雪の汚れでバスからの撮影は全然ダメでした。また今回CPLフィルターを使って撮影してみたのがこれも失敗のようです。
丘の上にあるメルニック城。
ボヘミアな雰囲気
ブルダバ川の合流地点。
かつての主。色々案内してくれたはずなのに覚えてない…。撮影は絵画などにフラッシュをたかないことを条件に特別に許されました。城内の撮影は許されていない所もあるので注意が必要。
子供部屋。子供の遊び場は大人も入ることをためらわせるような禁断の領域があるような趣。
旅は刺激だから時間が経っても記憶として繊細に覚えている。見るもの全てが新鮮で、印象的だった。
英語を本気で覚えようかと思っている今日この頃。そんな暇あるのか。
さて中欧三カ国の旅。まずはチェコの旅から。もうダイジェストで載せていきます。
関空でツアーの参加者と添乗員さんと合流後、まずはルフトハンザ航空でドイツ・フランクフルト空港へ12.5時間のフライト。西へ飛行していたのでまったく陽が落ちないという不思議な時間を過ごした。そして窓から見えるロシアのツンドラ地帯というのか白い風景が見えた。
EU加盟国での空港便は国内便と同じ扱いなので入国審査はドイツで。フランクフルト空港はとにかく広い。関空が大きいなんて思わない方がいい。
乗り換えてチェコ・プラハのルズィニエ空港へ。フライト1時間。早~い。
オフシーズンのせいか人っけのない空港。
バスで移動してホテルへ。次の日より観光開始。
残雪残るヨーロッパの街というのか全ての風景が画になる。雪の汚れでバスからの撮影は全然ダメでした。また今回CPLフィルターを使って撮影してみたのがこれも失敗のようです。
丘の上にあるメルニック城。
ボヘミアな雰囲気
ブルダバ川の合流地点。
かつての主。色々案内してくれたはずなのに覚えてない…。撮影は絵画などにフラッシュをたかないことを条件に特別に許されました。城内の撮影は許されていない所もあるので注意が必要。
子供部屋。子供の遊び場は大人も入ることをためらわせるような禁断の領域があるような趣。