日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その2 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]
閲覧注意。このページには遺体写真が載っています。
1904年冬。二百三高地に日本軍の砲撃が着弾。
日本軍側から二百三高地。
二十八センチ砲を発射。旅順攻囲戦には18門が投入され延べ16,940発を発射。弾速は遅く、発射された弾丸が肉眼で見えた。不発も多かった様子。
二百三高地の中腹で。同朋の死に祈りを捧げるロシア兵。
旅順港では戦没者の遺体収容が進む。ロシア軍の鉄壁の要塞都市も連日連夜の砲撃には疲弊しきっていた。
負傷者は自転車と担架を繋げて運ぶ。
中国人労働者を使って負傷者を運ぶ。
1904年冬。二百三高地に日本軍の砲撃が着弾。
日本軍側から二百三高地。
二十八センチ砲を発射。旅順攻囲戦には18門が投入され延べ16,940発を発射。弾速は遅く、発射された弾丸が肉眼で見えた。不発も多かった様子。
二百三高地の中腹で。同朋の死に祈りを捧げるロシア兵。
旅順港では戦没者の遺体収容が進む。ロシア軍の鉄壁の要塞都市も連日連夜の砲撃には疲弊しきっていた。
負傷者は自転車と担架を繋げて運ぶ。
中国人労働者を使って負傷者を運ぶ。