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ポーランド旅行記(11年11月) ブログトップ
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トルン その3 [ポーランド旅行記(11年11月)]

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コペルニクスの生家。中は資料館になっている。
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建築中傾いてしまった塔。
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ヴィスワ川
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トルンの後でワルシャワに戻りました。最後にワルシャワでお土産の買い出しをして、次の日帰ることになったのですが…。
当日濃い霧に覆われたワルシャワ空港で飛行機の遅れが出てしまいました。乗り換えの飛行機はフランクフルトにあり、そこでも濃霧という知らせが。時間が迫っていたのですが、なんとかワルシャワ空港を出発。フランクフルト空港に着いた時に帰路の飛行機の延滞もあるだろうと見込んでいたのですが、案の定乗れないことに。濃霧のせいで便全体が予定が狂ってしまったそうです。フランクフルト空港で飛行機のチケットの払い戻しと新しく再搭乗の予約と搭乗員さんは奔走していました。フランクフルトで結局当日中に移動ができなくなってしまったので最寄りの空港ホテルで一泊することに。送迎にシャトルバスを利用しました。

以前、中欧三ヶ国ツアーに参加したことがあるのですが、2月の冬の濃霧で飛行機が飛べず、同じように空港ホテルに泊まったことがあります。霧の延滞の知らせを聞いて「またか…」と予感は的中しました。

次の便に乗れるまではフランクフルトのホテルでダラダラ過ごしていました。時間に余裕があるので2時間だけフランクフルト観光にいく人たちもいましたが、空港での待ち時間中疲れたので休憩していました。次の日何とか関空行きの飛行機に乗って帰路につきました。行きは夕陽を見続けたのが、今度は夜をまたいでの飛行。なかなか寝付けなかったのが想いで…

9ヶ月の長期にわたり御拝読頂きましたポーランド旅行記はこれにて終わります。数々の悲運の歴史を歩んできたポーランド、現在もいいニュースは聞けないですが人々はとても優しい。観光名所も知名度もあまりない国なのですが、現地に行って初めて分かる発見も多かったように思います。料理も中々美味しかった。
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トルン その2 [ポーランド旅行記(11年11月)]

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トルン名物ジンジャーブレッドのお店。ショウガ風味の小さな甘い菓子パン。お土産にいくつか買った。
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トルン その1 [ポーランド旅行記(11年11月)]

もう少しでポーランド旅行記も終わり。昨年11月の旅から早8か月。
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最後の観光でトルンという街に。コペルニクスの生家がある。市内は世界遺産。
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ヴィスワ川を渡る。
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要塞の跡(メモの取り忘れですが詳細は不明。12世紀頃から栄えた街)
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ポズナニ大聖堂 [ポーランド旅行記(11年11月)]

ポズナニ大聖堂 10世紀創建でポーランド最古の教会。
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初代ポーランド王ミェシコ1世の墓
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ヨハネ・パウロ2世の像。今も献花が絶えない。
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ポズナニ旧市街 [ポーランド旅行記(11年11月)]

シヴィドニツァの後で夜になってポズナニに着いた。この日の観光は一ヶ所のみで移動日だった。
次の日の朝。ポズナニ市内観光へ。

ポズナン(ポズナニ)

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ポズナニ旧市街広場の市庁舎。
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ポズナニの旧市街は入り組んでいて狭い路地もあってウロウロしてたら迷いそうだった。イエズス会の教会はそんな中にあった。
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朝のミサ中だった。
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シヴィドニツァ平和教会 その2 [ポーランド旅行記(11年11月)]

木造建築の温もり。そして圧巻の彫刻。
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シヴィドニツァ平和教会 その1 [ポーランド旅行記(11年11月)]

日も暮れたアウシュヴィッツ収容所からホテルへ。
一泊後、この日は11月1日。キリスト教歴では万聖節、死者の日だった。
クラクフ→シヴィドニツァ→ポズナニへと向かう。
この日、ホテルに帽子を忘れたことに気づく。海外旅行中は細心の注意を払って忘れ物はないよう努力していたが今回はやってしまった。スーツケースに入れたと思っていたが結局なかった。
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シヴィドニツァ(シフィドニツァ)の街並み。↑デジカメ↓フィルム
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カトリックから迫害されたプロテスタントは条件付きで教会の建設を許された。制作期間1年。釘、レンガ、石を使わないこと。木と粘土で作ることだったが見事に完成。
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アウシュヴィッツ収容所 その3 [ポーランド旅行記(11年11月)]

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少し移動して第二収容所のビルケナウへ。第一収容所から2~3キロ程離れた場所にある。想像していたアウシュヴィッツ収容所はこちらの方だった。
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バスから降り立つとイスラエルの国旗を持った若者だらけだった。イスラエルから修学旅行とのことだが、他国の我々から見たらナショナリズムの右派の団体にしか見えない。ユダヤ人を中心に大量殺戮が行われた場所には違いないが、そうやって勇ましくもサッカーの国際試合じゃないんだから慰霊の気持ちで訪れることができないのかと思う。
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収容所の中も見てみたがほんとに簡素な造りで外の隙間も多く、とても人が住めるような場所ではない。ましてベッドにぎゅうぎゅう詰めだ。
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別の建物にトイレがあったのだがここで数秒で済ませなければならなかったという。
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夕陽に染まる空に有刺鉄線という美しくも残酷な風景に複雑な心境で見ていたが、夜も間近で全て回ることはできなかった。
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遠くからイスラエル人の団体がやって来た。入口から奥の方にも展示物があるようだったが、そうやって国旗を持って観覧しているのかと思うと複雑な想いをよせる。
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アウシュヴィッツ収容所 その2 [ポーランド旅行記(11年11月)]

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アウシュヴィッツ収容所の各国ガイドとしては日本人で唯一の中谷剛氏のガイドに耳を傾ける。ガイドは予約ができないので、もし他のツアーのガイドをしていると英語ガイドに添乗員さんの同時通訳で行われる予定だった。冬時間の日も暮れ出した頃で第二収容所のビルケナウにもこれから立ち寄るという時間的都合にも対応してガイドをしてくれた。
関西出身の彼の著作はアウシュビッツ収容所の実態とそのシステムや当時の国際情勢など多方面から研究されてある。展示の先方に中国人の団体がいたのだが混雑するとガイドが難しいし戦争被害国でもあるので先を譲りましょうとのことだった。

アウシュヴィッツ博物館案内

アウシュヴィッツ博物館案内

  • 作者: 中谷 剛
  • 出版社/メーカー: 凱風社
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 単行本


本は全て読んでないのだが読み易い本。
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来館者は毎年更新している。階段も来館者の往来ですり減る程。
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銃殺刑が行われていたという壁。壁には銃創がいくつもある。たくさん献花がされてありました。

ここから展示物の写真。一応カメラはOKなのだが被害者の私物の展示もあるので配慮して控えて下さいとのことだった。
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劇薬チクロンBが入っていた缶。
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チクロンBの錠剤のサンプル。
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メガネや義足、刈られた毛髪などがあったのですが生々しくて撮影できませんでした。毛髪は褪色して褐色になっていましたが、三つ編みの状態がみられました。他にも人毛で編まれた絨毯などもあって戦慄を覚えた。
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絞首刑場。鉄道のレールを取り付けた簡素なものだが数人まとめて吊るされたという。主に脱走者や反抗に問われた者の見せしめとして公開処刑だった。
エピソードとして脱走者が出たとして無造作に選ばれる10人の処刑者がいた中、自ら身代わりを名乗りを上げる人がいた。マキシミリアノ・コルベというカトリック宣教師は戦前日本にも宣教の為に来日されたことのある人だったが、ビルケナウにて身代わりに餓死刑に処された。
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処刑された遺体を処理する焼却施設。ここは公開されてある場所としては小規模のものだが1日200体程の焼却をしていたという。
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フェンスの向こう側に収容所所長だったルドルフ・フェルディナント・ヘスの邸宅があるらしい。そこでは妻と子供が一緒に生活していたという。大量虐殺が行われた収容所のすぐ近くでよき父親として生活していたという事実。妻子は一切知らなかった。そしてヘスの絞首刑にされた場所もすぐ近くにある。
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閲覧注意!収容所写真
http://kickassasia.com/2012/02/%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e6%ac%a1%e4%b8%96%e7%95%8c%e5%a4%a7%e6%88%a6%e3%82%92%e8%aa%9e%e3%82%8b%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%80%80part6-%e5%8f%8e%e5%ae%b9%e6%89%80%e7%b7%a8/
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アウシュヴィッツ収容所 その1 [ポーランド旅行記(11年11月)]

ヴィエリチカ岩塩抗観光の後で昼食、バスでクラクフから西へオシフィエンチムという町へ。アウシュヴィッツ強制収容所が現在も博物館として保存されてある。第一収容所の外観は一時期社会主義体制下で荒廃した時期もあったがそのままだという。(博物館用に改築した建物もある。主な資料展示は第一収容所にある。)
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アウシュヴィッツ収容所は世界遺産ということもあってツアー客から個人の観光まで世界各国からやってくる。今年の来館者数は過去最多を更新中ということで、近年世界情勢が緊迫化していることに、人々は何かを案じているのではないかということだった。(当時はギリシャ危機や極右政党の進出など言われていた。)
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「ARBEIT MACHT FREI」 (働けば自由になる)を掲げた有名な門。Bが反転しているのはこれを作ったユダヤ人の職人が反抗の意を表す為にワザとしたという。
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中は広いが同じような建物が均等に並んでいる。元々ポーランド軍兵舎だった所に収容所として増改築を行ったそうだ。ここに1万3千人から多い時には2万人がひしめきあっていたという。
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