ヴィエリチカ岩塩抗 その2 [ポーランド旅行記(11年11月)]
デジカメの画像も参考に。
ポーランド共和国建国の父、ユゼフ・ピウスツキ。すごい人生だ。日本とも関わり合いが深い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%84%E3%82%AD
ヴィエリチカ岩塩抗 その1 [ポーランド旅行記(11年11月)]
シンドラーの工場の後でショパンホテルで一泊。
一夜明けて世界遺産ヴィエリチカ岩塩採掘抗へ。
ユネスコに申請されたのは1978年。最初に登録された12件のうちの一つだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%81%E3%82%AB%E5%B2%A9%E5%A1%A9%E5%9D%91
到着後に開館までしばらく待つ。
エレベーターで一気に100m降りる。
廃坑していない岩塩抗としては世界最古。深さは地下 327 m 、全長は 300 km 以上に及ぶ。一般公開は3.5km。
塩で形成されたマリア像。抗夫たちが信仰の場として教会も建設。他にも岩塩を削って様々な彫刻をかたどっている。
ここから聖キンガ大聖堂の写真。岩塩の結晶で作ったシャンデリアと広い空間が圧巻。鉱石ではないので暖かみがある。
一夜明けて世界遺産ヴィエリチカ岩塩採掘抗へ。
ユネスコに申請されたのは1978年。最初に登録された12件のうちの一つだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%81%E3%82%AB%E5%B2%A9%E5%A1%A9%E5%9D%91
到着後に開館までしばらく待つ。
エレベーターで一気に100m降りる。
廃坑していない岩塩抗としては世界最古。深さは地下 327 m 、全長は 300 km 以上に及ぶ。一般公開は3.5km。
塩で形成されたマリア像。抗夫たちが信仰の場として教会も建設。他にも岩塩を削って様々な彫刻をかたどっている。
ここから聖キンガ大聖堂の写真。岩塩の結晶で作ったシャンデリアと広い空間が圧巻。鉱石ではないので暖かみがある。
シンドラーの工場 [ポーランド旅行記(11年11月)]
オスカー・シンドラーの工場はクラクフ市内にある。滞在したホテルのすぐ近くにあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC
工場はシンドラー博物館として公開されてある。観光は門前ぐらいしかできなかったがトイレ休憩だけした。
アウシュヴィッツ・ツアーなるカートを発見。ちょっとびっくり。来館者は世界各国から多数訪れる。
ヴィスワ川。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC
工場はシンドラー博物館として公開されてある。観光は門前ぐらいしかできなかったがトイレ休憩だけした。
アウシュヴィッツ・ツアーなるカートを発見。ちょっとびっくり。来館者は世界各国から多数訪れる。
ヴィスワ川。
ヴァヴェル城 [ポーランド旅行記(11年11月)]
中央市場広場から少し歩いてヴァヴェル城へ。
ヴァヴェル城は11世紀~16世紀頃の歴代ポーランド王が生活していた場所。
旧王宮の中庭。
中を見学するも撮影禁止。特大のタペストリーや緻密な装飾の家具、歴代王の肖像画などを見学。大聖堂にも入ったがここも撮影禁止。
外に出ると日が暮れ出した。
カチンの森事件の慰霊碑があった。
大聖堂にはレフ・カチンスキ(2010年4月10日、カチンの森事件追悼70周年記念式典への参加途中、大統領専用機の墜落により妻と他政府高官とともに他界。)の墓もあったがポーランド国民の多くは事故とは思ってないらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A9%BA%E8%BB%8DTu-154%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
ヴァヴェル城は11世紀~16世紀頃の歴代ポーランド王が生活していた場所。
旧王宮の中庭。
中を見学するも撮影禁止。特大のタペストリーや緻密な装飾の家具、歴代王の肖像画などを見学。大聖堂にも入ったがここも撮影禁止。
外に出ると日が暮れ出した。
カチンの森事件の慰霊碑があった。
大聖堂にはレフ・カチンスキ(2010年4月10日、カチンの森事件追悼70周年記念式典への参加途中、大統領専用機の墜落により妻と他政府高官とともに他界。)の墓もあったがポーランド国民の多くは事故とは思ってないらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A9%BA%E8%BB%8DTu-154%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
ヤギェウォ大学 [ポーランド旅行記(11年11月)]
少し歩いてヤギェウォ大学へ。
コペルニクスもヨハネ・パウロ二世もここの大学出とのこと。
裏手に回ってヴァヴェル城へ向かう。
コペルニクスもヨハネ・パウロ二世もここの大学出とのこと。
裏手に回ってヴァヴェル城へ向かう。
クラクフ中央市場広場 その2 [ポーランド旅行記(11年11月)]
広場の中心にある織物会館は交易所として栄えていたという。
ポーランドは琥珀の産地だそうでたくさん売ってある。
大道芸を色々やってました。
旧市庁舎
ポーランドは琥珀の産地だそうでたくさん売ってある。
大道芸を色々やってました。
旧市庁舎
クラクフ中央市場広場 その1 [ポーランド旅行記(11年11月)]
少し歩いて中央市場広場に着いた。200m四方の広々とした空間に旧市庁舎、教会、大学等さまざまな施設が立ち並ぶ。
聖マリア教会。
旧市庁舎。
聖マリア教会。
旧市庁舎。
クラクフ駅~フロリアンスカ門 [ポーランド旅行記(11年11月)]
ワルシャワ中央駅から列車に揺られ2時間半(予定では3時間のはずが30分も早く到着。)、ポーランドの農村地帯を抜けてポーランドの南、クラクフ駅に着いた。
残念なことに客席の写真を忘れていた。確か2等客席で6席で向かい合って座る。暖房完備で飲み物とお菓子のサービスがある。
クラクフ駅。
ここからバスに乗ってお昼のレストランへ。歩いて行ける距離だったのだが5分も乗ってなかったと思う。
バルバカン。円形状の砦。
フロリアンスカ門。
バルバカン内側より。
ここから中央市場広場まで伸びる道沿いにさまざまなお店が並ぶ。
残念なことに客席の写真を忘れていた。確か2等客席で6席で向かい合って座る。暖房完備で飲み物とお菓子のサービスがある。
クラクフ駅。
ここからバスに乗ってお昼のレストランへ。歩いて行ける距離だったのだが5分も乗ってなかったと思う。
バルバカン。円形状の砦。
フロリアンスカ門。
バルバカン内側より。
ここから中央市場広場まで伸びる道沿いにさまざまなお店が並ぶ。
ショパンの生家~クラクフへ [ポーランド旅行記(11年11月)]
もう4ヶ月ですか。半年で終わるのか?
ちょうど訪れていた時期はハロウィンの最中でした。ポーランドではこの時期には死者を弔う為に花を墓前に供えます。休日に墓参りにでかける人も多いという。死者に対して弔う精神が強い国民性だと思う。
そしてショパンの生家へ。併設するショパンのミュージアムでCDやお土産の販売もやっている。史実では生まれてすぐにワルシャワへ引っ越したそうですが、出生証明書の展示やピアノコンサートも行われている。
ショパンの生家でピアノのコンサートを聞いてワルシャワに戻る。この時期日が沈むのが速い。
帰りのバスにて乳母車と親子。
一夜明けてワルシャワ市内。これからクラクフへ列車で出かけます。
ワルシャワ中央駅。
改札もなくそのまま駅の中へ行ける。検札は車内で。クラクフまで約3時間。
ポーランドは農業国だそうだが、その広大な土地を移動するのに鉄道が発達していったとか。こんな風景が永遠続く。途中で飲み物、お菓子のサービスがある。
ちょうど訪れていた時期はハロウィンの最中でした。ポーランドではこの時期には死者を弔う為に花を墓前に供えます。休日に墓参りにでかける人も多いという。死者に対して弔う精神が強い国民性だと思う。
そしてショパンの生家へ。併設するショパンのミュージアムでCDやお土産の販売もやっている。史実では生まれてすぐにワルシャワへ引っ越したそうですが、出生証明書の展示やピアノコンサートも行われている。
ショパンの生家でピアノのコンサートを聞いてワルシャワに戻る。この時期日が沈むのが速い。
帰りのバスにて乳母車と親子。
一夜明けてワルシャワ市内。これからクラクフへ列車で出かけます。
ワルシャワ中央駅。
改札もなくそのまま駅の中へ行ける。検札は車内で。クラクフまで約3時間。
ポーランドは農業国だそうだが、その広大な土地を移動するのに鉄道が発達していったとか。こんな風景が永遠続く。途中で飲み物、お菓子のサービスがある。
旧市街 その3 市場広場 [ポーランド旅行記(11年11月)]
ここから旧市街市場広場。観光客相手のお土産や露店が並んでいる。戦中は街の8割もの建物が破壊されたが1950年代に開戦前の写真を元に忠実に再建したという。
中央にある人魚像。
鳩に餌をやるおじさん。観光客にもエサやりのサービスをしてくれる。
バスに乗って少し離れた所にワルシャワ蜂起の記念碑。
蜂起に参加したワルシャワ市民はドイツ軍の兵舎を襲って装備品を奪って戦いを挑んだ。ただ服装もそのままではドイツ軍と判別がつかないのでヘルメットにポーランド国旗の白、赤のリボンや腕章をつけて戦ったそうです。ソ連軍の侵攻ストップにより壊滅した蜂起軍の残党は戦後も逃げ延びては共産勢力の暗殺を企てたりで、泥沼化していった。この碑は蜂起45周年の記念に、奇しくもポーランドが民主化された1989年にできたそうです。ドイツとソ連の圧力に蹂躙される苦難の歴史をレリーフは表しているようです。
中央にある人魚像。
鳩に餌をやるおじさん。観光客にもエサやりのサービスをしてくれる。
バスに乗って少し離れた所にワルシャワ蜂起の記念碑。
蜂起に参加したワルシャワ市民はドイツ軍の兵舎を襲って装備品を奪って戦いを挑んだ。ただ服装もそのままではドイツ軍と判別がつかないのでヘルメットにポーランド国旗の白、赤のリボンや腕章をつけて戦ったそうです。ソ連軍の侵攻ストップにより壊滅した蜂起軍の残党は戦後も逃げ延びては共産勢力の暗殺を企てたりで、泥沼化していった。この碑は蜂起45周年の記念に、奇しくもポーランドが民主化された1989年にできたそうです。ドイツとソ連の圧力に蹂躙される苦難の歴史をレリーフは表しているようです。