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アウシュヴィッツ収容所 その2 [ポーランド旅行記(11年11月)]

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アウシュヴィッツ収容所の各国ガイドとしては日本人で唯一の中谷剛氏のガイドに耳を傾ける。ガイドは予約ができないので、もし他のツアーのガイドをしていると英語ガイドに添乗員さんの同時通訳で行われる予定だった。冬時間の日も暮れ出した頃で第二収容所のビルケナウにもこれから立ち寄るという時間的都合にも対応してガイドをしてくれた。
関西出身の彼の著作はアウシュビッツ収容所の実態とそのシステムや当時の国際情勢など多方面から研究されてある。展示の先方に中国人の団体がいたのだが混雑するとガイドが難しいし戦争被害国でもあるので先を譲りましょうとのことだった。

アウシュヴィッツ博物館案内

アウシュヴィッツ博物館案内

  • 作者: 中谷 剛
  • 出版社/メーカー: 凱風社
  • 発売日: 2005/05
  • メディア: 単行本


本は全て読んでないのだが読み易い本。
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来館者は毎年更新している。階段も来館者の往来ですり減る程。
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銃殺刑が行われていたという壁。壁には銃創がいくつもある。たくさん献花がされてありました。

ここから展示物の写真。一応カメラはOKなのだが被害者の私物の展示もあるので配慮して控えて下さいとのことだった。
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劇薬チクロンBが入っていた缶。
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チクロンBの錠剤のサンプル。
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メガネや義足、刈られた毛髪などがあったのですが生々しくて撮影できませんでした。毛髪は褪色して褐色になっていましたが、三つ編みの状態がみられました。他にも人毛で編まれた絨毯などもあって戦慄を覚えた。
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絞首刑場。鉄道のレールを取り付けた簡素なものだが数人まとめて吊るされたという。主に脱走者や反抗に問われた者の見せしめとして公開処刑だった。
エピソードとして脱走者が出たとして無造作に選ばれる10人の処刑者がいた中、自ら身代わりを名乗りを上げる人がいた。マキシミリアノ・コルベというカトリック宣教師は戦前日本にも宣教の為に来日されたことのある人だったが、ビルケナウにて身代わりに餓死刑に処された。
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処刑された遺体を処理する焼却施設。ここは公開されてある場所としては小規模のものだが1日200体程の焼却をしていたという。
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フェンスの向こう側に収容所所長だったルドルフ・フェルディナント・ヘスの邸宅があるらしい。そこでは妻と子供が一緒に生活していたという。大量虐殺が行われた収容所のすぐ近くでよき父親として生活していたという事実。妻子は一切知らなかった。そしてヘスの絞首刑にされた場所もすぐ近くにある。
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閲覧注意!収容所写真
http://kickassasia.com/2012/02/%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e6%ac%a1%e4%b8%96%e7%95%8c%e5%a4%a7%e6%88%a6%e3%82%92%e8%aa%9e%e3%82%8b%e5%86%99%e7%9c%9f%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%80%80part6-%e5%8f%8e%e5%ae%b9%e6%89%80%e7%b7%a8/
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