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日露戦争、旅順攻囲戦 古写真 その3 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

旅順攻囲戦のロシア軍降伏後の古写真がいくつか見つかったので載せます。
解説は写真を元に独断で考察したもので間違いもあります。
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旅順要塞降伏後、白玉山から旅順港をみる日本兵。
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攻囲戦後、進駐する日本兵。
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1905年1月1日、日本軍の猛攻により守備兵力が枯渇しかけたロシア軍は望台の陥落でついに抗戦を断念。旅順要塞司令官ステッセリは降伏を申し入れる。5日、旅順近郊の水師営で乃木将軍と会談を行う。会談後、降伏式の前に完全武装で待つ。ロシア軍守備兵。
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降伏の前に様子を見に来た日本兵と一緒にカメラに写る。タバコを交換しているように見える。日露戦争では戦闘を一時中断して双方の物々交換や同胞の戦死遺体を収容することがあった。
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前線まで見に来た日本兵と一緒に。
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この写真はまだ戦闘中の旅順港の状況。203高地は12月5日に占領するも、旅順港内の目標艦船の射撃観測点として機能したというのは間違いで、旅順艦隊はすでに黄海海戦で修復不可能なほど消耗しており、水兵や艦隊の砲は陸揚げされて守備兵力に編入されていたとのこと。動かぬ艦船に命中しても二十八センチ砲の威力を持っても船底を貫き、沈没させることはできず、戦後に自沈処理されている。203高地の他、東鶏冠山堡塁、二竜山堡塁、望台、と陥落が続いたことで降伏するに至ったのだ。203高地占領という感動的な描かれ方をしているが、実際のところ、旅順攻囲戦全体の最終段階において203高地が射撃観測に良さそうだと、攻撃を集中させたという話のようである。
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二百三高地を登れ!その2 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

爾霊山塔を見た後で駐車場へ。帰る少しの間だけ西側山頂へ向かいました。
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ここを下ると保典戦死の石碑があるところじゃないかなと思います。
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旅順港を見る。
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115年前の旅順港、二百三高地から。
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2015年の旅順港。
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そしてこの場所にデンと建造されていたのが、かの有名な二十八センチ榴弾砲です。
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まず二百三高地頂上に二十八センチ榴弾砲は設置されていません!北側麓から旅順港内に届く範囲に設置されていました。そしてこの適当さ加減。サイズももう少し大きいと思われます。
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参考までに実物写真。
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そこかしこに塹壕跡が見られます。
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二百三高地、歴史を感じる戦場も今や観光名所。兵どもが夢の跡。
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二百三高地を登れ!その1 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

旅順包囲戦、最大の激戦地、203高地へはバスで中腹の駐車場まで登れます。
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203高地は別名「爾霊山」(にれいざん)。すぐとなりに老虎溝山(赤坂山)があるのですが、駐車場から反対側に登るらしい。そこにはいけなかった。爾霊山の塔があるのが203高地東側山頂で、203高地占領後、弾着観測所になったのが西側の山頂のようです。
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乃木将軍の次男、乃木保典戦死の石碑もあり、ひっそりとあるようです。時間があったらそこにも行きたかった。(陸軍少尉。日露戦争に後備歩兵第一旅団司令部付として出征、二○三高地で明治37年12月1日第三回総攻撃の中、敵砲弾により戦死した。24歳。)
1904年8月から総攻撃を繰り返すも、旅順要塞群は陥落せず、将兵の死傷者を多く出したことにより、民衆は乃木将軍を強く非難、自宅への投石行為をした。第3回総攻撃で保典戦死により、世論は一遍。それより先、1904年5月に長男の勝典が南山の戦いで戦死しているのを知り、功労者としての評価がなされる。息子二人を戦地で失い、旅順攻囲戦の第三軍の多数の死傷者の責任からか、将軍の軍人としての想いや如何許りのものだったか。
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駐車場からミニバン(有料)で案内してくれるそうですが、結局歩きました。歩けばすぐ近く。スロープもそこまで急ではない。この道もちゃんと整備はしてくれてはいるが、当時、ロシア軍が使っていた道だろう。
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爾霊山塔。戦後、乃木将軍発案の元、山頂に散らばる敵味方の殻薬きょうを集め、鋳造して、三十年式実包の形に成形して建立した。爾霊山とは乃木希典の考えた当て字で漢詩から「爾(なんじ)霊の山」、「爾(二)、霊(〇)、山(三)」と表記した。息子の死、数多の部下の死を乗り越え、慰霊の想いをしたためた。文字は乃木将軍の筆跡である。
203高地の戦いだけで日本軍側1万人、ロシア軍側6千人の死傷者を出した。
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5月末の頃だったが気温が高く、湿度もあったのであまり旅順港は見えなかった。
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太平洋戦争が終わって、ソ連軍侵攻で観光地だったここもソ連軍の管轄内に。ロシア革命以前の戦いに敵将の慰霊碑に落書きをする者あり。文化大革命でも荒廃した場所でもある。殻薬きょうなので真鍮製かな?
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旅順駅、旅順ヤマトホテル [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

もう5年前になるね…
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東鶏冠山北堡塁の後で旅順市街に入りました。旅順港は太平洋戦争後も軍港として発展、外国人の立ち入りは制限されていたという場所。現在では日本人観光客の増加により戦前の建築文化財の保存に乗り出し、まだ観光整備中といったところでした。
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旅順駅
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日露戦争始まる以前にロシア軍が軍港利用を目的として1903年に開業。1904年に日露戦争勃発で駅舎は日本のものに。1945年に日本の敗戦でソ連軍のものに、1952年、中国政府の管理下へ。
木造建築で当時の面影が残るロシア建築独特な屋根をしたレトロな駅舎。
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バスの車窓から案内されただけでしたが旅順港から見える白玉山塔。
日露戦争後に戦没者の遺骨を収容する「納骨祠」を作り、東郷平八郎と乃木希典の共同提案で2年と歳月と募金10数万を募って高さ84.8mの英霊を祀る「表忠塔」を建立した。時間がなかったので訪れることはなかった。景観がよいことからロープウェイもあるらしい。
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ここから旅順ヤマトホテルの画像。帝政ロシアが建築中だった建物を改装してホテルに。南満州鉄道が豪華絢爛な装飾を施した一流の建物も、現在では廃墟同然。中国政府が文化財保護の為にこれから改修工事をする予定だそうだ。ホテルの前は露天市場が並ぶ。昔は栄えていたはずなのだが、歴史の流れというものを感じる。
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汚れた窓から中を覗いてみる。中に階段が見えるが、手すりが波形の凝った作り。戦前は李香蘭(山口淑子)も泊まったかもしれないし、川島芳子は結婚式をここで挙げて、あの階段を昇ったであろう。そんな場所だ。
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非常事態宣言 [日記]

2020年新春の頃から新型肺炎のニュースが話題になり、ジワジワと都市部の感染者拡大、4月始めに非常事態宣言が発表され、職場でも自主休業が決まりました。

仕方がないので部屋に籠っていろいろやっているわけですが、たまにはブログに日記を書こうと思い立ったわけです。

今まで有休1週間とか、インフルエンザで1週間の休業はあれど、自主休業で1か月とは今までに経験のないこと。しかも外出を制限されるとは、まったくもって暇を持て余した状態になってしまってる。旅行に行こうかと思ったけど外出はよくない。ではどうすればよいのかと考えたら部屋でできることしかできないわけです。

初めてヤフオクで出品をしてみたり、ホームベーカリーを買ってパンを焼いてみたりしました。できることを少しずつ進めていくしかない。
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『ターミネーター:ニュー・フェイト』(19年・米) [映画(19年~)]

「私の為に死なないで」

ターミネーターシリーズ1~2の正統な続編。

『ターミネーター』(84年)、古典的名作。サスペンス・スリラーが強いがアクションもなかなか。
『ターミネーター2』(91年)、アクションの大傑作。CGの使い方、演出も素晴らしい。
『ターミネーター3』(03年)、前作からのリブート。テンポも演出もダメ。え?それで終わり?
『ターミネーター4』(09年)、結局核戦争は防げなかった未来。これもありだなと思える好編。
『ターミネーター:新機動/ジェ二シス』(15年)、あれ?2の続編?どんなラストか覚えてない。
そして本作ニュー・フェイト(原題の副題はdark fate、なぜ変えた?)。

個人的に映像関係の道に行くきっかけとなった思い入れのある映画が『2』でした。何度も何度も見た映画はこの『2』でした。野球延長でVHSに録画撮れてなかった『2/特別版』がめちゃくちゃ悔しがりました。
子供の頃、強いヒーロー像としての憧れの存在だったのが、シュワルツェ・ネッガー演じる怪力あるT-800型でした。スカイネットに支配された未来から抵抗運動リーダーの保護を「再」プログラムされた無敵のロボットが武骨で筋肉モリモリのマッチョなシュワちゃんにベストマッチしていました。おまけに革ジャンにショットガン打つんだからワイルドな印象が引き立ったわけです。銃弾なんか跳ね返してしまう重装甲、筋肉のたくましさ、子供ながらにパワフルな理想のヒーローだったわけです。
また、それよりも際立つ存在感があったのが、我が子の身を案じてムキムキに鍛え上げていたリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーでした。筋肉質な女性が演じる強い母親像という姿がグッと魅力的に見えた存在でした。そのサラ・コナーの扱いは『2』以降出てきませんでした。強い女のキャラクターはほかの映画には要れど、どこか映画的に誇張されてリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーの役ほど強くは見えませんでした。

『2』から28年後にそのリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーが見れる!と言ったらぜひとも観に行こうと思ったわけです。

内容は詳しく言えませんが、『2』から話は流れて2020年が舞台になっており、新たな未来からターミネーターが現れ、それを阻止する抵抗運動の代表者も現れ、『2』から続くサラ・コナーが前に現れるといった内容です。話的に未来は救われたの?とか、そういう話はありません。あれはどうなった?とかそういう突っ込みもあります。ただいうなればサラ・コナー、年をとってもリンダ・ハミルトンかっこいい。シュワちゃんはなぜサングラス掛けなかった?新型ターミネーター強すぎ。グレースも強くてかっこいい。女性陣の進出際立つターミネーターの新作でした。

手に汗握るアクション豊富でとても疲れた。でもこんなに興奮したのも久しぶり。ちょっと突っ込みどころもあるけれど『2』の続編にふさわしい。良作でした。
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旅順口区国防教育基地 二十八センチ砲弾 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

兵舎跡に隣接する資料館で旅順攻囲戦の資料をまとめた資料館があります。

いわゆる日本の大陸侵略の先駆けとも取れる旅順攻囲戦の紹介なので日本批判ももちろんあります。
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ここから出土した不発弾の展示。この時代もまだ信管の開発が未発達で不発弾も多かった様子。
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これが旅順攻囲戦で名をはせた二十八センチ砲から発射された砲弾の不発弾。重量220kg。専用のクレーンで装填した。
日本は対船舶用を想定していたので柔らかい土に着弾すると信管が反応しない場合もあったとか。旅順のロシア軍は不発弾を掘り起こして同サイズのクルップ社製榴弾砲で打ち返してきた。
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うわさの信管。
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日本軍を悩ませていたロシア軍のマキシム機関銃(英製)。日本軍はこの未知の兵器に対して大損害を受けるが、それは塹壕を掘ることで対抗した。10年後のヨーロッパ、第一次世界大戦でも同じようなことが起きる。突撃による奇襲攻撃はなくなり、夜襲や砲撃支援の後に総攻撃の作戦が練られた。
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コンドラチェンコ少将の石碑 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

少し脱線してましたが続けます。もう4年前のことなんだね。
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東鶏冠山北堡塁ロシア軍宿舎の近くに敵将コンドラチェンコ戦死の場所という石碑がありました。日露戦争後の1905年から太平洋戦争終結の1945年まで朝鮮半島と、この遼東半島、大連までは日本の本土と同じような扱いを受けていたことから観光地として整備されていた様子。
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ロマン・コンドラチェンコは帝政ロシア軍少将。ウクライナ人。実質、旅順要塞司令官でスミルノフ中将の部下。旅順要塞の指揮官はステッセリ中将だったが要塞建築の権限を一任されたことでより堅実な防衛陣地を作ることができた。要塞建築のプロ。
色白長身の美男子でステッセリの夫人にいたく気に入られ、ステッセリからは二人だけにしないように幕僚に注意勧告したとのこと。独断専行の傾向があるが、勇敢にも自ら前線で陣頭指揮をとり、部下からも慕われていた。
二百三高地が日本軍に落ちた1905年12月5日の後も日本軍の砲撃に苦しむ旅順湾の将兵を励まし続けたという。そして12月15日、東鶏冠山北堡塁宿舎にて将兵に勲章の進呈をしていた時に日本軍の二十八センチ砲の直撃を受けて戦死。コンドラチェンコの居場所は中国人スパイの情報によるものだというガイドの説明もあったが諸説あり。
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アナトーリイ・ステッセリ。水市営で乃木将軍と降伏会見をした帝政ロシア中将。旅順要塞司令官であるが、満州軍総司令官クロパトキン大将から任命された後任のスミルノフ中将に地位を明け渡さず、新設されるロシア関東軍の司令官に就任。結果的にスミルノフに司令官の地位を明け渡す。規律に厳しい官僚タイプ。プライドが高く縄張り意識が強い、スミルノフとの確執から命令の無視、決断力に乏しいが予備兵力1万人弾薬食糧も十分な旅順戦力を残して徹底抗戦を唱えていたスミルノフ中将と対立して独断で降伏会見を行った。戦力を4分の1にしてコンドラチェンコの戦死に残存兵力の疲労と士気の低さに降伏の考えは妥当という判断もある。
降伏会見では乃木将軍の息子二人の戦死には哀悼の意を示し、騎士道精神に則った行動は称賛されている。
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コンスタンティン・スミルノフ。ステッセリの後任で旅順要塞司令官、中将。ステッセリとの派閥争いで混乱したが、二百三高地日本軍占領後も残存兵力で徹底抗戦を唱え、戦後はステッセリとその部下アレクサンドル・フォークの職務怠慢で非難する発表をするも、フォークから決闘を申し込まれ腹部を負傷。

ロシア軍も派閥争いからあまりいい印象がない。
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『JOKER』19年/米 [映画(19年~)]

「俺の人生は悲劇だ。いや違う。これは喜劇だ。」
「主観で物事を言うな!俺は狂ってはいない!」

言わずと知れたこの年、この秋の話題作。アメリカン・コミックスの『バットマン』の敵役キャラであるジョーカーにスピンオフした本作。コミックの原作から『悪の根源とはなにか?』に強く追及する社会へ問題提起する映画に仕立てた。フィクションではあるが、どこか真実味があり、どこかでこんな犯罪者がでてくるかもしれないとそう感じる。ヴェネチア映画金獅子賞でも勿体ない。世界的な問題作になるのは間違いないと思う。

ジョーカーというとティム・バートン監督の『バットマン』、ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーのイメージが強い私。ピエロの恰好でいつも高ら笑い、残虐非道。不気味に笑わそうとしている恐怖の存在であるジョーカー。ただバットマンに顔を焼かれ怒り狂い、バットマンに復讐する男ではない。

病弱な母親を看病しながら暮らし、コメディアンに憧れ、ピエロに扮して広告代をもらう仕事をする脳の疾患で突然笑いだす奇病をもつ孤高の男、アーサー。しかし、仕事の失敗から次々と不幸に苛まれ、次第にゴッサムシティの富裕層へと敵意をむき出すようになる。

アーサーの母親との関係や、ふと出会う人への愛は感じるのだが、それが憎しみへと変わるプロセスが、この世に蔓延る嫌な部分として浮き出てくる。

愛も減ったくれもない、ひねくれたものになるアーサー。金持ちが影響力ある社会に、偏見と蔑まれる存在のピエロ、ジョーカーに変貌し反発する。アメリカの貧富の差と社会福祉の軽視、銃社会、色々感じさせる映画でした。何回か見ないといけない。

映画の中でチャップリンのモダン・タイムスを観てるシーンが出てくるが、この映画の主題歌でもある『スマイル』では、「希望を持て」というメッセージがあるのに絶望からキレてタガが外れたジョーカーが踊り狂う映像にミスマッチながら強い印象を受ける。

バットマンが登場した時代(1939年)は主人公が金持ちでバックヤードが整った完全無欠な男が悪党どもを裁くという勧善懲悪なことが受けたかもしれないが、最近では貧富の差が激しすぎて、バットマンに感情移入するには、強盗に襲われて両親ともに殺された孤高のヒーローでは賄えなくなってきてしまっているな。どちらかというと貧乏で失うものなど何もない犯罪者の方が、みるものに共感を得るには十分ではある。アーサーと似た境遇な人は多いと思う。金持ちが犯罪者を裁く?バットマンは金で犯罪者を裁いてるだけだよ。

ロバート・デ・ニーロが脇役で出てるのがすごいが、何と言ってもホアキン・フェニックスの圧倒的演技だよ。彼の演じる不器用でもろい精神状態の男が悪党であるジョーカーを演じきった。

社会的に抑圧された人たちが多いのも事実だが、映画はそれに対して怒りを爆発させた映画だものだから上映を控えたいのもわからないでもない。衝動的に犯罪に走ってしまう人もいそうだろう。
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so-netブログのドメイン変更 [日記]

日記すらまったく書かなくなりましたね~。
ブログは暇なときでも放置状態でした。

今年9月にso-netブログのドメイン変更でSSブログに移行よろしくとso-netからお知らせがありました。10月開始、12月15日までにSSブログID取得なので早めにやってしまいました。

アドレスも若干変わりますがso-netのアドレスのままでもジャンプするようです。現在のページに新しく登録よろしくお願いします。



仕事は忙しい時期がありましたが現在また安定してきました。今年はどういうわけか買い物が多い!元気にしています。

旅行記を終わらさなければいけない。
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