サハリン鉄道の夜。 [サハリン・樺太旅行記(08年9月)]
「○界の車窓から」今日はユジノ・サハリンスク~ノグリギ間の鉄道の旅です。寝台付き列車、名前は「サハリン号」。今回生まれて初めて寝台付き列車に乗ります。樺太時代にあった鉄道を延長し、石油採掘が盛んなノグリギまでを結びます。予定ではノグリギにある北方民族博物館でニブヒ族の演奏、舞踏を鑑賞後、市内観光の予定。
ウィキペディア『サハリンの鉄道』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
『樺太の鉄道』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
宮澤賢治は樺太時代に農業学校の教え子の就職斡旋に樺太へと渡った。当時、列車に乗って『銀河鉄道の夜』の構想も練ったのではないかと言われている。
2等寝台4人相部屋。
話が前後しますが、ノグリギからユジノ・サハリンスクに戻るときの写真も混ざってます。暗かったのでブレてしまってるのが多い。
ベッドメイキングは自分でしないといけない。
絨毯の上にあるタオルケットは出発後スルスルと回収される。
以前は食堂車があったらしいが今はない。なので夕御飯は(場合によっては朝も)買っておかないといけない。出発後に車内販売もあるがお菓子程度。
写真がないが一車両の中に2つのトイレがある。しかし、動き始めてからでないと使えない。なんと便器の下が筒抜けで垂れ流しなのだ。
ここはノグリギ駅構内の写真。本当はテロの標的にならないために駅の中の撮影はできないことになっているけど、ノグリギ駅は大らかな雰囲気。本当は警備員の目を気にしてコソコソ撮っていたけど。
列車に乗っている時は意外と揺れるゴトンゴトンとした振動で眠れるか不安だったが、それよりも暖房が効いてるのか部屋を閉め切ると暑かった。列車もさいさい止まってばかり。停車駅もあるので深夜にも何回か止まっていた。これから行くノグリギについても話だけで未知なる土地への不安があった。何せ海外だから想像もつかない。草原や森林地帯をただひたすら走る列車。目に見る風景は100年前も今もないだろう。
次の日の朝、終着駅ノグリギに着きました。しかし思わぬことがあったのです。
ウィキペディア『サハリンの鉄道』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
『樺太の鉄道』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%A4%AA%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93
宮澤賢治は樺太時代に農業学校の教え子の就職斡旋に樺太へと渡った。当時、列車に乗って『銀河鉄道の夜』の構想も練ったのではないかと言われている。
2等寝台4人相部屋。
話が前後しますが、ノグリギからユジノ・サハリンスクに戻るときの写真も混ざってます。暗かったのでブレてしまってるのが多い。
ベッドメイキングは自分でしないといけない。
絨毯の上にあるタオルケットは出発後スルスルと回収される。
以前は食堂車があったらしいが今はない。なので夕御飯は(場合によっては朝も)買っておかないといけない。出発後に車内販売もあるがお菓子程度。
写真がないが一車両の中に2つのトイレがある。しかし、動き始めてからでないと使えない。なんと便器の下が筒抜けで垂れ流しなのだ。
ここはノグリギ駅構内の写真。本当はテロの標的にならないために駅の中の撮影はできないことになっているけど、ノグリギ駅は大らかな雰囲気。本当は警備員の目を気にしてコソコソ撮っていたけど。
列車に乗っている時は意外と揺れるゴトンゴトンとした振動で眠れるか不安だったが、それよりも暖房が効いてるのか部屋を閉め切ると暑かった。列車もさいさい止まってばかり。停車駅もあるので深夜にも何回か止まっていた。これから行くノグリギについても話だけで未知なる土地への不安があった。何せ海外だから想像もつかない。草原や森林地帯をただひたすら走る列車。目に見る風景は100年前も今もないだろう。
次の日の朝、終着駅ノグリギに着きました。しかし思わぬことがあったのです。
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