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台湾総統府‐中正紀念堂 [台湾旅行記(09年8月)]

総統府は日本で言う国会議事堂みたいなところ、現在でも台湾の政治の中枢。日本統治時代は台湾総督府。西洋列強に対して日本の統治者としての威厳を表わす為、また永遠に使われることを目的とし、地震が多い台湾だけに基礎工事だけで1年を掛けた。赤レンガの壁に花崗岩の白石を帯状に配した西洋古典様式で1919年に完成。後少しで建築100年!
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当時の日本は仮議事堂でしのいでいたので総督府ができた際「無駄に大きい」と批判を受けた程だったそうだ。現在の日本の国会議事堂は1936年に完成したそうだが、こちらの建築の方が美しいように思う。第二次大戦末期には米軍の空襲で破壊されたが戦後も利用を考えられていたのか、徹底した被害は受けなかったようだ。

日本統治の象徴のように思われるかもしれないが中華民国が接収し、利用を考えていたので「まあまだ使えるし…」といった意味で残してあるのか?サハリンの樺太庁舎は戦利品として扱われているようだし、朝鮮総督府は支配の象徴だとしてほとんど取り壊されている。日本人としてはどうにも複雑だ。
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外国人が入るにはパスポートをチェックされ、手荷物、カメラは預けられ金属探知機をくぐって入る。テロを警戒してか自動小銃を手にした憲兵が周りを警備している。中は台湾総督府時代の歴代総督から現総統の紹介。日本語のガイドさんは中でも上下水道やインフラ整備や農地改革をした児玉源太郎と後藤新平、水力発電や台湾人の教育法を改訂した明石元次郎の名を挙げて紹介してくれた。統治時代を嫌う微塵もなく、その業績は評価してくれている。総統府の建築の紹介もあり、誇らしげに語っていた。
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実は正面ではなくて西側でした。

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外に出た後で大雨に降られました。実は台風8号が近づいていた頃のこと。


ウィキペディア『中正記念堂』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E7%B4%80%E5%BF%B5%E5%A0%82
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主に蔣介石をたたえる建物なんだが、いかに大きな権威があるかのような威圧的な建物の印象。1階は蔣介石ゆかりの展示や辛亥革命の展示など。天井が非常に高い。特に2階は圧巻の蔣介石の巨大像。

『蒋介石』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%8B%E4%BB%8B%E7%9F%B3

中国近代史についてもそうだが蔣介石の人物像についても謎が多い。若い頃は日本に留学していた頃もあったし、中国に侵攻していた日本軍より反共産党だったという話がある。台湾にとっては馬祖では島の防衛の英雄的扱いだし、本島にとっては228事件や恐怖政治の中心人物だし、本省人には忌み嫌う存在であるには間違いなさそうだ。
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蔣介石の像と記念写真。大陸からの観光客?
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乗ったことがあるとされる車。今までアメ車って見たことなかったがものすごく大きい!
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この後、正午の衛兵交代式を見学。
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