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過去と事故。『宇高連絡船 紫雲丸はなぜ沈んだか』 [本・漫画]

ミャンマーや中国の災害のニュースを聞いて悼んでいる。
災害と、「不満」も多く聞く現状。未完成な体制。
悲しみだけが広がる。

最近調べている53年前の悲しい過去を一つ。

ウィキペディア『紫雲丸事故』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E9%9B%B2%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E6%95%85

昭和30年5月11日、宇野港~高松港を結ぶ連絡船「紫雲丸」が、貨物船と衝突、沈没した。乗船していた修学旅行中の小中学生ら乗客乗員168名が犠牲になった。

犠牲になった学生児童は100名。その内、女子生徒の犠牲は81名という大惨事。

あまりにも多い学生児童の犠牲に、その事故から全国の小中学校にプールの設置と、体育の授業に水泳の指導が行われるようになる。


修学旅行の想い出はとても楽しかった覚えがある。その旅行中にこの事故が起きて、クラスの何十名もの友人が死んだら、と思うと胸が裂けそうになる。
なぜこんなことが起きてしまったのか。原因は何なのか。誰が悪いんだ。深く追求したところで、犠牲者の遺族の悲しみは深く心に刻まれてしまうだろう。子供に何が悪かったというのか。事故を起こしてしまった船長は当時の船舶運行者の風潮認識で船と一緒に亡くなってしまっている。

これほど大きな悲劇が、あまりスポットに当たっていないのが残念だ。
そもそもこの事故を知ったのは2005年にテレビのニュースで「紫雲丸事故で高知市長浜の南海中学校で犠牲となった同校28人に“卒業証書”が授与される。」を見ていて、そのことを覚えていた。
証書授与には同校卒業生だったというおばあちゃんが同期の友人の証書を貰い、当時の記憶をインタビューしていた。

そしてチョビチョビとですが、この本を読んでいます。

宇高連絡船紫雲丸はなぜ沈んだか

宇高連絡船紫雲丸はなぜ沈んだか

  • 作者: 萩原 幹生
  • 出版社/メーカー: 成山堂書店
  • 発売日: 2000/12
  • メディア: 単行本


事故体験者の証言や、遺族のインタビュー、事故後の裁判や組織改正などがまとめてある。遺体収容の現場や遺族がすすり泣く犠牲者との対面の場面など、涙が自然と出てくるほど悲しい。
この事故を題材とした映画やドキュメンタリーも出ていないのが残念だ。
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