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クロアチア旅行記(14年6月) ブログトップ
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スプリット観光:ディオクレティアヌス宮殿 その4 [クロアチア旅行記(14年6月)]

ペリスティルに戻った。
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ローマ兵の恰好した人。観光客と一緒に写真撮影をするサービスだが結構な金額を請求されることもあるので遠巻きに撮影した。
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ペリスティル(中庭)からべスティル(前庭)へ。円形の天井はローマ時代はモザイクの天幕で覆われていたという宮殿の玄関。
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円形上の構造は音が反響しやすく、それを利用したコンサートが開かれる。観光用にこの地方のアカペラグループのコーラス。CDも販売していました。
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自由時間。少し戻ってお土産屋を徘徊。
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鐘楼の展望まで上がってみることにした。
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ここでこの旅最大のハプニング!鐘楼展望を目指して階段を登る最中に、真上で巨大な鐘が鳴り始めた!今日は大きなミサがあると聞いていたのだが、鐘が鳴り響く騒音を、隣で叫ぼうが何をしようがまるで聞こえない。真横を通りすぎ、階段を駆け上がろうと思ったが上に行くにつれて鉄骨の階段はスカスカでここで足がすくむ。騒音から逃げようにも手すりをつかんでないと怖かった。難聴になるんじゃないかと思いながら上を目指す。『史上最大の作戦』で落下傘兵が教会に引っかかり難聴になるシーンを思いだした。
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スプリット観光:ディオクレティアヌス宮殿 その3 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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ディオクレティアヌス宮殿北側の内門。
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見事な水平アーチ。ローマ時代のもの
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グルグール司教の左足の親指に触ると願い事が叶うらしい。
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宮殿内は改築して住民が住むことができる。
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洗礼室
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スプリット観光:ディオクレティアヌス宮殿 その2 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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半地下だった船を停めておける所から上がるとペリスティルといわれる宮殿の中庭に出る。
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大聖堂と鐘楼(しょうろう)、大聖堂はこの日大きなミサがあって観光客の締め出しがあった。鐘楼は後で入場料を払って入ることができたのだが怖い思いをする。
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ルクソールという名のレストラン。
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お土産屋に入ってローマ時代の建築をうかがい知れるところ。
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スプリット観光:ディオクレティアヌス宮殿 その1 [クロアチア旅行記(14年6月)]

プリトヴィツェからバスで4時間程、日が沈む頃、スプリットに到着(スプリトの表記もあり)。この日はバス移動にプリトヴィツェ観光とで疲れていた。
少し眠ると海が見えてきた。
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スプリットは今回スロベニア~クロアチア間のバスの運転をしてくれたゴランさんの住居があるところらしい。旅をしたちょうどその頃6月は観光客も少なく海で泳げるのでいい季節なのだと話してくれた。
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ホテルで一泊。朝からスプリット観光へ。
観光地へは近いのでほとんど歩き。この日は真夏に近い温度だったと覚えているが、海から近いこともあって湿度も高い。
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スプリットのあるダルマチア地方は『101匹わんちゃん』のダルメシアンで有名。
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ディオクレティアヌス宮殿は3世紀末から4世紀初期にローマ皇帝ディオクレティアヌスによって建築された。スプリットの街の起源はここにあり、北はカルスト地形で断崖のようになっていて海に向かって緩やかな傾斜になっており、南は入り江になっていて、敵が陸からは攻められにくく、海からは発見しやすいという条件がそろっていた。
中世が終わる頃まで宮殿の存在事態がわからなくなっていたという。
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ミニチュアの地図。
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ローマ時代は船が入れる場所だったそうだ。
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ローマ時代のゴミ置き場。
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ローマ時代の下水管。
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宮殿地下は涼しく、音も反響するのでコンサートホールのような扱いがされることがある。先日ファッション・ショーがあったというところ。
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プリトヴィツェ湖群国立公園 その3 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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国立公園のコース整備に寄付金を出した人の名を刻んだプレート。
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湖畔を歩くはよいが道幅が狭く観光客は多いのでコースはすれ違いは危険だった。水かさは道ギリギリなので踏み外しそうで不安の連続だった。
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滝の種類によっては荒々しいものから穏やかな滝もある。ミルカ・トルニナ滝はソプラノ歌手として世界的活躍したクロアチア人女性の名前から取った。
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滝の真横を通る道はウッドデッキに水が掛かる状態のところもあるし、人の往来も激しいので足場が崩れないか足元が心配だった。カメラも構えてられないほど。
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プリトヴィツェ大滝はここのシンボル。
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スタートから歩きに歩いて3~4時間。バスへ戻った。
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プリトヴィツェ湖群国立公園 その2 [クロアチア旅行記(14年6月)]

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19世紀後半から一大観光地に整備されたプリトヴィツェ湖群は1949年に当時ユーゴスラビア政府によって国立公園に。
1979年にはユネスコ世界遺産に登録されたが、91年のユーゴ解体の際にはセルビア勢力が占拠、95年にクロアチア軍が奪還した。
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湖の渡し船。湖畔を歩いていくこともできるが遊覧も気持ちがいいもの。観光客もヨーロッパ各国から集まっている様子。
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ここから歩き。お土産屋、休憩所のポイント。
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途中「どこの国から来たの?」と英語で話しかけられた。その人はギリシャから来た人だった。
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プリトヴィツェ湖群国立公園 その1 [クロアチア旅行記(14年6月)]

ポストイナ鍾乳洞観光の後でリュブリャナのホテルに戻り一泊。
朝、ホテルを出発し、バスで休憩を挟み、5時間。スロベニアからクロアチアへ入国。
昼食後、プリトヴィツェ湖群国立公園へ。(プリトヴィッツェ、プリトビツェ、プリトヴィチェ表記多数。)
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バスの車窓からは美しい景色から段々と荒廃した風景が流れてきた。スロベニアでは余り見られなかったが、ここクロアチアのプリトヴィツェ周辺ではクロアチア紛争の最初の武力衝突(1991年3月プリトヴィツェ湖群事件)があった場所だった。弾痕だらけの外壁の町並みは住人が改築したものの歴史を忘れないためにワザと残している人もいるという。このときたった23年前の出来事だった。写真はバスでチラリと通りすぎた紛争資料館の兵器。
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ユーゴスラビア紛争は複雑だが、ネットで調べた大体の見方として関係の悪いのが
(スロベニア、クロアチア)対立(セルビア、モンテネグロ)
『十日間戦争』、『クロアチア紛争』

(ボスニア・ヘルツェゴビナ)対立(セルビア、モンテネグロ)後に対立(クロアチア)
『ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争』

(コソボ)対立(セルビア・モンテネグロ)
『コソボ紛争』

(マケドニア)対立(コソボ、アルバニア)
『マケドニア紛争』
といった感じ。
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見ればとある地方なのだが映画『ノーマンズ・ランド』(01年。これはボスニア紛争が舞台)が印象的だが、丘の上が軍隊の拠点になったり、地雷原が埋められたりしていたと思うといたたまれない気持ちになる。
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プリトヴィツェ湖群の下流にある村、ラストケ。ここはバスから降りて少し写真を撮っただけ。
ラストケの名物は小麦を挽く水車といくつもある滝、妖精伝説があることからフェアリーに扮したガイドが名物だとか。
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プリトヴィツェ湖群国立公園について観光開始。広大な自然公園になっているのでトレッキングに近く、山あり谷ありだった。
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