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鬼ヶ島へ。女木島の旅 その1 [国内旅行]

梅雨空の三ノ宮、金曜深夜。
仕事を終えた人たちが足早に帰っていく中、待ち合わせ。
合流後、バスに乗ってフェリーターミナルへ。

今回の旅はフェリーが主な移動手段。フェリーって実は便利な乗り物なんです。高松行きのジャンボフェリーは深夜0:30発4:10着の便があって、睡眠時間は少ないけど夜行列車のような使い方も出来る。『鉄』がブームになる中、船の旅も、のんびりとした旅情があっていいもんです。(GWや長期休日期間中は難民船みたいな状態になる。一度、GW帰省に利用したが、全然眠れなかったし、疲れた。)

フェリーの中で簡単に旅のミーティング。その後、就寝。冷房が効いてて寝にくかった。

明朝。もやのかかった高松港に着いた。
連絡バスで高松駅に着いた後、近くを散策し、朝からうどん屋をやってる場所の目星をつけといたが、ずいぶん前に買った情報誌だったので、うどん屋さん自体がつぶれてしまってた。結局高松駅内の立ち食いうどん屋さん。香川で「うどん」はお昼ご飯の感覚が強いんだよね。

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少し休憩していざ女木島行きフェリーへ。船は『めおん2』。
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近距離フェリーの中は似たようなつくりになっている。前方中央にテレビ。他は座席。
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出航。向こうに見えるのが女木島かな?
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こっちは東側、屋島。
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海から見る高松港。朝靄の近代的な街並みが見える。
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向こうが女木島。結構大きい。
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女木港に到着。
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フェリーは方向転換し、今度は男木島の方へ行きます。
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真横から見た『めおん2』。横から見るとかわいらしいもんだ。
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女木港からは割と近くに見える高松港。ここからは港の風景。
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向こうは屋島。
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港周辺の民家にはオーテと呼ばれる海から吹き付ける潮風を防ぐ壁のある風景が広がります。日本の山間部には見ない港町の風景です。
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第一猫発見。見知らぬ人に警戒。でも実に絵になる。
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女木町をブラブラ。
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この時期はトウモロコシ畑が多い印象。猫が若いトウモロコシの実を盗って道端でかじっている場面を見た。
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そうそう忘れていました。女木港にある女木島のシンボル(?)、モアイ像です。
なんでこんなところに?と思われるでしょう。
実は大手クレーンメーカーの本社が香川県にあり、本物のモアイ像修復工事のテストために、イースター島とよく似た地形に女木島を選んで、実寸台より少し小さいモアイ像を作って、ここに運んだそうです。
堂々としたその風格はデカイの一言。

女木島の旅は2回シリーズの予定です。
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今、見ない風景へ。徳島の旅 2 [国内旅行]

492号線をさらに南へ行くと、重要文化財「三木家住宅」があり、ちょっと寄ってみました。
看板より「阿波忌部の三木家は南北朝時代は山岳武士の大将として活躍し数々の手柄を立てて南朝に忠節をつくした。」そうです。
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徳島最古の日本家屋。日本美です。
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ちょっとフィルムスキャンでグリーンと鮮やかさをいじったのできつい色合いですが、イメージではこんな感じ。新緑が素晴らしく綺麗な徳島を行く旅でした。スーパー林道は残念だったけど。
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今、見ない風景へ。徳島の旅 1 [国内旅行]

メインテーマだったGWの日帰りツーリングの概要はこうだった。

剣山スーパー林道をSL230で走ろうと思い徳島へ行ったはいいが、
近道と思って間違った道(林道)を走って、時たまある舗装路に転がる石に、つまづいたようにバランスを崩して右にズッコケた。

不安がよぎる。一人で誰も来ないような林道でこけると、だれも助けてくれない。
こういうとき、人は何を思うだろうか。
とにかく倒れたバイクから足をすり出して、車体を起こし、落ち着こうとすぐ下の川原で顔を洗う。
どういうわけか両足に擦り傷、打撲があり(ステップにぶつかったのか?)、特に右足首の捻挫がひどい。
プロテクターはヒザだけ外していたのでそこだけ少しすりむいている。

足首がジンジンと痛い。なんとか乗れるかなと思ったが、その後のスーパー林道を走る勇気が大いに下がった。
出発のときの冒険心もどこかに消えてしまった。やはり防具(プロテクター)はつけないと。
それなりの道を走るならそれなりの装備品が必須なんだなと思った。オフブーツ買おうかな。

元来た道に戻る。「もう入り口だけ観にいこうか。」という気で林道を観にいくと、なんと閉鎖中。
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昨年の台風の影響で道路が決壊して、復旧まで今年の秋まで掛かるようです。車もバイクも、何台もやってきては肩を落として戻っていく。そんな光景が、地図を広げて目的地の変更を考えている間に何回もあった。

僕もスカを食らったようで、もう帰ることにした。

これが2008年5月4日の出来事。実はこの道中に面白いところを発見した。
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場所は徳島県脇町IC、穴吹橋を南へ、狭い道が続く492号線沿い、259号線と分かれる手前。
山深い渓谷を走ると、通り過ぎるのがこの小さな町。昭和も中期頃から時代が止まったような木造家屋が広がる。人通りはもちろん少ないが、この場所にこの町ありの素晴らしいロケーションだ(失礼)。
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ヨーロッパは古都の町並み保存が盛んだそうが、日本もある時代の街並みを保存するという心配りが必要だと思う。忘れ去られた時と場所に思いをはせる。
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ちょっとフィルムをスキャンをするときにグリーンと鮮やかさをいじったので、異常に緑が強いが、新緑のイメージで。
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尾瀬の旅 その4『どこまでも』 [国内旅行]

その4です。木道と湿原の道がとてもきれい。

木道を歩いていると度々設置されているのが、この熊避けの鐘です。面白半分で叩いていきましたが、これが割と重要なのです。歩いていく先で聞こえるのは、なかなか風流でした。トンカチで叩くのですが、音は「カーン」という音でした。

ヨッピ橋。アイヌ語が語源のようですが、アイヌ文化はなにも北海道だけではないと説明してくれました。




まるで絵画の世界。実際ここで水彩画を描いている人もいるとか。絶景ポイント。


木道の工事現場。木道の木は耐湿性のある唐松で10年ぐらい持つそうですが、痛むと新しくしないといけないです。木材はヘリで工事現場付近に運ばれます。




これが歩荷さん。木道を歩いていると、小さな木板が木道から外れて、地面に置いてあるところがありますが、そこが歩荷さんが特別に休む場所。ルールとして、歩荷さんに遭遇したら、声を掛けない。(呼吸が乱れて疲れるから。)後ろから来たら、道を譲る。です。ネイチャーガイドさん曰く「日当いくらになるかは分からないが、相当貰っているんじゃないか。」と言っていました。山小屋の飲み物が高いのはそのためなんです。



下の写真から思い浮かぶタイトルは『山小屋一直線!』。でも一キロぐらい先です。


ここからは檜枝岐(ひのえまた)小屋付近の山小屋の写真です。山小屋の建築は頑丈そうでカッコいい。




檜枝岐小屋で昼食休憩の後は、木が生い茂る地帯になりました。もうここからは開けた湿原はなく、尾瀬沼へ行きます。



この木は根っこが下に伸びないで、広がるようになっていたので自然に倒れてしまったものです。壁のように倒れている根っこの高さも身長をはるかに超えています。



本当に少なかったのがこの『水芭蕉』(写真中央)。水芭蕉の花は5月~6月でもう咲いてなかったです。小さな花かと思いきや、葉っぱは30~40cmぐらい?結構大きいです。白く見えるところは実は花ではなく花弁なんだそうです。



これが尾瀬沼。湖と沼の違いは、沼が水深5m以下の事をいい。湖が5~10m以上で、直接海と連絡のない静止した水塊。ここで足を突き出した死体を思い浮かべる人は『犬神家の一族』の影響大です。あれは那須湖が舞台。



左に写っているのが最後に泊まる長蔵小屋です。



長い廊下です。昭和どころか明治~大正時代の面影さえ残るレトロな雰囲気です。各部屋には障子で仕切られているぐらいです。




長蔵小屋で一泊して次の日、帰りました。最終日は小雨が降るあいにくの天気でしたが、おぼろげに見える沼は幻想的できれい。大清水までは普通の山道にもどって8キロほど。前日は17キロも歩いた。



とんで上毛高原駅のMAX E-4系。ブレています。この二日後に中越沖地震でこの上越新幹線が運転見合わせと聞いたときは驚きました。



そんなこんなで親子二人の尾瀬の旅は終わります。尾瀬でリラックスできたのは、本当によかったです。尾瀬は美しいところだなと感銘を受けました。撮影した写真の枚数も24枚撮り7本で168枚とすごい。いい夏の思い出になりました。


尾瀬の旅 その3『大湿原!』 [国内旅行]


その3です。その1で画像を載せるのを忘れてました。晩御飯の前にビジターセンターで尾瀬の動物たちをみました。

まず「ホンドキツネ」



すみません名前を忘れた。タヌキ?イタチかな?



熊です。最近でも周辺に出没するそうなので、「見たら慌てず、ゆっくりと後ずさりしてください。」と山小屋の人は言っていましたが、その人が初めて熊と遭遇したときは一目散で逃げてきたそうだ。



剥製です。剥製って本当に皮を剥ぐんですね~。ちょっと残酷。



余談ですがネイチャーガイドさんによると、最近「ニホンカモシカ」の数が増えて、尾瀬の方まで生息地が広がっていて、湿原を踏みつけたり、地面を掘ってしまったりして尾瀬にとっては邪魔者なんだそうだ。



またまた余談ですが、山小屋の飲み物は場所によりますが、平地の2~3倍近くします。写真ではつぶれて値段が分かりませんが、天然水500mlが300円。ほか500mlペットボトル飲料が360円です。それもこれも歩荷さん(ボッカさん)と呼ばれる荷物運搬の人たちが、背負って運んできてくれるからです。歩荷さんはプロなら100キロ近くの荷物を背負って、一日二往復ぐらいするそうだ。この山の鼻の山荘付近なら。




さてここから続きです。

尾瀬には『池塘(チトウ)』と呼ばれる小さな池が点在していますが、尾瀬ヶ原には誰が数えたか200以上の池塘があるんだとか。この湿原も木の根っこや水草が長い年月をかけて積み重なって陸地のようになっているのです。

下の写真は尾瀬の木道から唯一見ることができる池塘にある浮島。(写真中央。)『夏の思い出』にある歌詞の一説とは座布団ぐらいの大きさの島なんだな~と、ちょっと拍子抜け。でもかわいらしい。





面白いぐらい水面が鏡のようです。曇っていて風がなかったのが幸いです。










アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』に似たようなシーンがありますが、本当にきれい。流れに揺れる水草。



尾瀬は自然の生態系が原生に近い形で保存されている地域です。下の写真でも分かるように少しでも地形が違うと、線を引いたように植物が違います。



今日はこれくらい。まだ続きます。


尾瀬の旅 その2『絶景かな。』 [国内旅行]

この日が尾瀬ヶ原、尾瀬沼を通る一番大切な日でした。起床は5:00と早く、朝食は少し時間があったので、外に散歩に行ってみました。


 


その日は雨の予報でモヤが多かったです。でも湿原の美しさはこの湿った感じじゃないだろうか。とても幻想的な雰囲気。


下は写真(デジカメ)を撮る母。



下の写真が『ニッコウキスゲ』の花。例年この時期なら尾瀬はニッコウキスゲの黄色い花で埋め尽くされるそうですが、今年は咲くのが遅いようです。



代わりに咲いていたのがこの青い花。『杜若(カキツバタ)』。



まっすぐな木道。遠近感がつかみにくいですが、先は結構遠いです。どこまで続いてんだろ?



朝ご飯を食べて出発です。写真がないので残念ですが、岩魚の甘露煮がメチャメチャうまかったです。



今日はここまで、何回シリーズになるかな~。


尾瀬の旅 その1『夏の思い出』 [国内旅行]

『夏の思い出』作曲:中田 喜直 1949年NHKラジオ放送。


   夏が来れば 思い出す
   遥かな尾瀬 遠い空
   霧の中に 浮かび来る
   優しい影 野の小道
   水芭蕉の花が 咲いている
   夢見て咲いている 水のほとり
   石楠花(シャクナゲ)色に 黄昏(タソガレ)る
   遥かな尾瀬 遠い空


   夏がくれば 思い出す
   はるかな尾瀬 野の旅よ
   花のなかに そよそよと
   ゆれゆれる 浮き島よ
   水芭蕉の花が 匂っている
   夢みて匂っている水のほとり
   まなこつぶれば なつかしい
   はるかな尾瀬 遠い空


「夏の思い出」という素晴らしいタイトルに、尾瀬の美しさが歌われた名曲。
シャンソン歌手の江間章子(えましょうこ)さんが初めて歌ったといわれる。


母親といっしょに尾瀬に行ってきました。
『尾瀬沼・尾瀬ヶ原の山小屋に泊まる3日の旅』のツアー参加です。


 


○TBの大阪・京都からの参加限定です。まずは新大阪に七時集合で新幹線で東京に。東京駅でお昼をとって、上越新幹線で群馬県は上毛高原駅へ。バスで1時間半、尾瀬の入り口、鳩待峠へ。大阪からはるばる関東まで。新幹線に乗ったのは中学3年ぐらいからだろうか。写真は鳩待峠入り口。小一時間で「山の鼻・至仏山荘」。この日はこれで終わり。


さすが尾瀬と言っていいほど道の整備は行き届いていました。ツアーの決まりとして(尾瀬ヶ原、尾瀬沼全体でも。)、植物採取、木道や散策道以外の立ち入りは禁止でした。また、ぬれた石畳階段、木道は、すべりやすく、危険ではありました。ちなみに木道はすべて右側通行がルール。



至仏山荘は一応キャンプOKな場所がありました。でも熊の出没に注意です。


 


 


近くの温度計です。ここでも標高1420mですので、夏でも気温は低い。夕方4時頃だったか。



至仏山荘。



 



 中は想像していたよりも、きれいなロッジ風。さすがに相部屋です。室内のこの二枚はお気に入り。フラッシュも焚いてないのにまったくぶれてない!コンパクトなのに。



下の写真はヘリポート、木板は尾瀬の自然を守るためにヘリで運ばれます。



至仏山荘の近くの湿原です。



今日はここまで。シリーズで3~4回の予定です。


地図になかった島へ。その4  [国内旅行]


いい加減この話題のシリーズを終えないと。




砲台跡はほかにもたくさんありました。






















ここからは発電所跡の写真。立ち入り禁止の場所だったのですが、無断で入って撮影してみました。僕が行ったときにはフォトグラファーな人が三脚を担いで、ワンピース姿の女の子を入れて、写真を撮っていましたが?

僕は素直に歴史廃墟を撮りに来たので、これらの写真を見て興味を持った方は、この立ち入り禁止の場所に安易に入らないでいただきたい。あくまで危険なところなので、そこは注意して入りました。今にも崩れそうなとこや、ガラス窓は割れて落ちてきそうだったのですから、あまり近づかないようにしました。























この後、毒ガス資料館も訪れました。防毒ガス完全防護服やガスマスクが展示されていました。防護服の丸いゴーグルのそのいでたちは実に不気味で、奇怪です。化学兵器の恐怖を伝えていました。




今回の旅では日本に風化はしても残り続ける戦争遺産を見ることで、その歴史を少しでも理解できた。毒ガスはこの島に残り続け、汚染し続ける。途方もないこの不の遺産に、戦争で使われたという旧日本軍の毒ガス兵器の事実は、今の社会にも生き続けるんだ。戦争という途方もないテーマに現代人の僕は辟易する。平和な日本にこの事実をもっと理解しないといけないのは現代人だ。




とても勉強になったSL230で行くGWソロツーリングでした。もっと人が行かないようなところを行って、いろんな発見をしてみたい。旅とはいろんな意味で勉強になる。




 




これは今治~大三島 宗方行きのフェリーの写真ですが、使ってみました。これ以上にない終わりの場面だ。これから黒にフェードアウト。


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地図になかった島へ。その3 広島まで? [国内旅行]

瀬戸内の島を行く、ソロツーその3。


大三島、宗方に着いたら、ぱぱ~とすぐに出発。さすが四国に比べると人通り、車の数も少なめ。うちの実家周辺もそう変わりないですが、いいですな。すいてる道は。


大三島での目的地は北にある盛港でした。そこから、大久野島、広島本土の忠海へフェリーがあります。しかし、フェリーの時間は余裕がありました。それで一風呂、お風呂屋さんに。こうやって外出先で、気軽にお風呂に入れるのっていい。日本人に生まれてよかったと思うよ。ツーリング先で体力回復もできるから素晴らしい施設だ。


しまなみ海峡の中では一番大きい大三島ですが、あっという間に盛港に到着。



だだっ広い港はどことなく、空虚な雰囲気が漂います。


 


浅橋です。うん?なにか旗がありますね?



特産品無人販売所です。赤い缶にお金を入れて商品を買うようでしたが、なんとものんびりとしたお店。商品もぜんぜん並んでいなかった。そういや写真に写っている発砲スチロールの箱には一体何が…。



 


上はフェリー前方、下は後方に乗り込んだSLです。オフ車って荷物詰め込むと、どうしても不格好になってしまうな~。車体はシュッとしてるのに、上が大きいのでバランス悪く見えてしまう。まあしょうがない。テントにシュラフに銀マットを積むと大荷物です。



すこしモヤが出てましたが綺麗な夕日。


十数分で大久野島に到着しました。フェリーの係り員は「今から大久野島に行く人は珍しい。」と言う。「島でキャンプしようと思うんですよ。」といったら、どこか渋ったような顔をしていた。「?」と思ったら、これが災難の始まりだった。盛港でフェリーの乗船券売り場で大久野島でキャンプしようと思っていると告げたら、「島は車が通れないようにしてるから駐車場に止めたらいい。」と売り場のお姉さんは言っていました。ところがどっこい、行ってみて初めてわかることが多数あった。


大久野島に着いたら、その港の関係者らしいおじさんが「今日は泊まるんですか?」と聞いてきた。キャンプをしようと思っていると言ったら、この島ではキャンプできないという。「ホテルの人に聞いて、泊められないかお願いしてみて。」という。あまりにも突然言われたことにポカンとしてしまう。今乗ってきたフェリーが今日の最後のフェリーだ。ホテルの前に着いたらホテルマンらしい人が現れて、同じような質問が。それに加え、この島全体がホテルの所有地となってて、勝手にキャンプしたり、車で走ったらいけないというのだ。そんなことHPでも書いてなかったのに。しかも唯一あるホテルはGWで満室。キャンプ場はあるのだが工事中で閉鎖、おまけに最後のフェリーが出てってしまったので、バイクを置いて、最後の船である客船で忠海(本州本土の広島県)に行って宿舎を探せと言うのだ。


そういう情報はあらかじめわかっていたら、こういうことにはならんかったのに!


最後のフェリーが出た後で、身一つで大荷物の自分に宿舎を探せとは。みじめさに恥ずかしく、バイクの荷物をとき始め、さあフェリーターミナルへ行こうかとしたらバイクはホテル裏へ回せと追いかけてきた。はいはいそうですか、と従うしかない。ホテルの裏に置いたら同じくホテルマンらしい人から朗報が。「忠海に行く客船になんとか乗せられそうなので、客船のターミナルへ行ってください。」と言う。


ああ、よかった。バイクを降りたライダーは心細い。おまけにテントが入った大荷物を背負ってどこへ行けと言うの。なんとか客船にバイクを載せてもらった。客船の乗船客の視線が恥ずかしい。


瀬戸内の島を行く旅が、広島本土についてしまった。さあ辺りは暗くなる一方だし、早くキャンプできそうなところを探そう。地図を見て人通りの少なそうなところを探す。そして無理やりキャンプ。もう真っ暗。


ここ私有地じゃないだろうな?真っ暗闇から突然ライトに照らされて、出てけ!なんて言われたらどうしよう、なんて考えてたらなかなか寝付けなかった。今回の旅はこれが一番きつかった。そうだよな、確かに私有地に勝手にキャンプされたら怒るわ。でも島全体がそうなっているとは。今度からキャンプ場があるならそこへ行こう。その点、四国はお遍路さんがいるから寛大なところはいろいろあると思うのだが。なんとか寝所を見つけられた安堵から、いつのまにか寝ていた。



テントを設営した某所。次の日起きたらもう腑に落ちない気分はなかった。これから同じ場所に戻らなければならない。また来たの?なんて言われたら恥ずかしいだろうな。


 


 きれいな忠海港。また大久野島にいかなければいけない。本来の目的地はそこだったのだから。


 



また大久野島に着いたらすぐにバイクを留めて、レンタサイクルを借りて観光開始。上2枚はホテルすぐ近くの毒ガスが入っていたタンクを隠すシェルターのような施設。中に筒状のタンクを固定するために台座がある。壁は落書きだらけ。落書きだって『1976』ってあるところから歴史すら感じる。


 


ここも貯蔵庫だったという場所。片側3つの蔵のような空間があるが、黒いススのようなものがある。戦後、進駐軍が焼却の為、火炎放射器で焼いた後がそのまま残っているのだという。環境庁の名前に立ち入り禁止の文字の看板。




確かに危なそうだ。


毒ガス兵器は進駐軍によって焼却処理のほか、薬品による消毒、地中に埋没。海底に沈めたりされた。戦後その処理に借り出された民間人数名が被害にあい、今も障害に悩まされているという。実質、毒ガスは消えていないので、今もこの島や海にに大量の毒ガス兵器があると思うとゾッとする。今も戦争の跡は消えていないのだ。


島の周辺にはテニスコート、プールもあるが、なんともこの対比はなんだろう。平和利用は確かにいいだろうが、細菌兵器が作られていた場所のすぐ近くで、遊びに興じるのも時間の流れが感じる。


 



自転車で走っているとこんなものがありました。お地蔵さんがおいてあるようなコンクリの穴がありました。その穴から上に、パイプでも通っていたような穴が開いています。なにか毒ガス兵器に関連する施設だったのでしょうか?


これから下は砲台跡の写真です。砲台は1900年初頭から作られたものなので、この風景は100年前から大砲がないこと以外、変わっていないのです。1920年代から毒ガスの貯蔵場所として使われていたので半世紀近く、この島は軍事拠点だったのです。それにしてもこんな場所が瀬戸内にあったとは…。





砲弾庫の役割として敵からの攻撃により、弾薬に誘爆することを防ぐためにか、少し地表から掘ったところに砲弾庫があります。下が降りて中を撮影した写真。



説明の看板には「日露戦争時に外された大砲は旅順攻略のときに使われた」とありました。旅順攻略のときに使われた大砲と言うと『28センチ砲か?(当時の言い方として28サンチともいう)』と思ってしまうのは『二百三高地』(80年・東映)の影響があります。(ここらへんがマニアックだ。)


前線に使うにしては扱いづらい、要塞に備え付けて使う巨大な大砲でしたが、日露戦争では二百三高地を攻略する為に早急に配備されたもので、設営にはコンクリートの土台に地中に円形状に数メートルの穴を掘らないと使えない代物でした。日露戦争ではこの大砲の投入が勝敗を決めたといってもいいくらい有名です。


 



「なんでその大砲がここにあったのといえるの?」というのはこの島に砲台が作られた時期もありますが、円形状に穴があったような跡があるのも、説得力あるような気がします。


http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/yowa/yowa_contents/yowa_034.htm


 




ちょっと埋もれてはいますが、ここも昔は弾薬庫か兵隊の詰め所だったところだと思うと、歴史を感じる。二つ並んでる方は、隣の入り口に通じる横穴が開いていました。


 


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地図になかった島へ。その2 しまなみ海道の下を… [国内旅行]

さて瀬戸内の島を行く、ソロツーその2。


実家のバイクを冬眠から起こしてホットワイヤーも取り付けて、いざ出発となりました。


朝、香川のどこかは教えられませんが、高速はまったく走りませんので、高松中心部から約3~4時間で愛媛県は今治市に到着しました。走った国道11号線は地元ではしょっちゅう渋滞している道ですので、それくらいかかります。「今治」って「いまばり」って読むんですよ~。「いまじ」とか「いば…、まり」ってはっきり言えないアナウンサーもいますけど、それじゃいくらなんでも失礼ですからね。「えひめけんはいまばりし」って10回言ってみよう。


写真はKodak白黒フィルム400T、あとのカラー写真はFUJIFILMを使ってます。しかし、フィルムカメラはお金かかるな…。デジカメ買おうかな…。白黒は『minolta HI-MATIC F』、カラーは『OLIMPUS μ-Ⅱ』(だったかな名前?実家に置いたままで手元にない。)どちらもコンパクトカメラ。


道中のSLです。白黒のよさは想像する像の鮮やかさだよね。この写真じゃわかりづらいですが…。


いつの時代の写真かはっきりわからない曖昧さもいいところですか。(?)



さて今治港から大三島へ行くフェリーが運航しています。今治港ではほかにも瀬戸内の多くの島につながるフェリーが運航していて、海上交通がさかんです。


出発前に近くのほっかほっか亭で海苔弁当を買って遅めのお昼。



港近くのアーケード街。戦後引き上げ船とか、市場とか盛んだったんでしょうね。どこか寂れて懐かしい雰囲気。



今治港の駐車場、ターミナルです。港のこのガランとした広い風景がいいですよね。あ、日付はずいぶん前になってますが、電池抜いちゃうとまったく未設定になってしまうのを忘れていましたので、こんなのになってしまいました。途中から気づいてOFFにしました。


 


今治から大三島を結ぶフェリー、その名も「みしま」。二階が客席、下に車両が入ります。




フェリーの内部。船の旅はやっぱり旅情が違いますね。違う土地へっていう感覚がします。 


バスとも電車ともちがう海に浮かぶ体感は、ゆらゆらとしてやわらかな気持ちがします。



外に出られるのも船ならではのよいところ。晴れた日には清々しい気分で海も眺められます。


あと、この船は割と古そうでしたが、ちょっとしたレトロな雰囲気も楽しめます。何せ風景は海なんですから、船の中が古そうなら人以外、見るもの全て時代もわからないんですから。あ、自販機が写ってるか…。


どこからともなく『ブラジル』のメロディーが聞こえてきそう。


 


瀬戸内しまなみ海道の下からの写真です。GWに通ったライダーも多かったはず。僕はその下を通ってました。




フェリーはわりと島の近くを通ります。でもその分、島並みを一望できる素晴らしい観光だと思います。


 


そんなこんなで、あっという間に一時間が過ぎて、大三島の宗方港に着きました。宗方港の写真がないのは残念。


次回は大三島~大久野島のことを載せます。これがまた、とんでもないトラブルがあったわけで…。


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