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ウズベキスタン旅行記(13年6月) ブログトップ
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シャフリサーブス到着。アクサライ宮殿 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

最後に記事投稿したのが8月か…。すみません。また再開します。年内に終わるか?
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ウズベキスタンの古都ブハラを出発。砂漠を突っ切ってアミールチムール所縁の地、シャフリサーブスに到着。昼食後アクサライ宮殿へ。
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宮殿内は広い公園のようになっているが現在工事中。
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14世紀にティムールの故郷のこの地で建築が始まったが、16世紀にはブハラのアブドゥルハーンによって破壊されて現在はアーチが一部残っているのみ。当時の青タイルが晴天の空と相まって綺麗。
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この日は6月だったが気温35度くらいにはなっていたと思う。おかげで靴の底が剥がれた。接着剤が熱で剥がれちゃったのだ。日差しも強く、帽子がなかったら倒れていたかも。
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ティムールの銅像。広大な領土を征服したチンギスハーンもすごかったが彼を尊敬するティムールもすごい。

世界史における犠牲者の多い出来事
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ブハラ→シャフリサーブス その2 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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ウズベキスタンに行くと砂漠が見られると思っていたがその通りで、都市を抜けるとだだっ広い荒地が広がっていたり、どうやって住んでいるのかわからない農家が砂漠の真ん中にポツンとあったりする。日本では絶対に見られない風景だろう。
玄奘三蔵は中央アジアを抜けてインドへ渡ったと記録にあるらしいがこの風景。キャラバン隊でもなければ横断は難しいだろう。
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緑が多くなると安心する。ウズベキスタンは農業国で特に綿花の生産は世界第6位、輸出は第2位。
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シャフリサーブスに近づいた。
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ブハラ→シャフリサーブス その1 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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古都ブハラの朝、今日は移動日。シャフリサーブス中継、(4時間)サマルカンド(3時間)まで砂漠を突っ切ります。
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ウズベキスタンの道路事情はよくない。主要都市への幹線道路もアスファルトにひび割れの凸凹があるし、ドライバーもそれを避けるために蛇行するのでスピードも上げられない。時たまガツンと座席が上に衝撃があるのは超えるしかない『穴』がある場合で、衝撃を抑えるためにゆっくり走る。
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今回は移動時間が長かったのでトイレ休憩。適当なところで休憩所もないので、砂漠の真ん中で『野』です。草木のあるところで車から少し離れて用を済ませました。
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遊牧民の家畜の糞かそこここにありました。
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ブハラ人形(ウズベク・パペット) [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

Ўзбек кукла(ウズベク・クークラ)ロシア語表記、ウズベク人形。
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ウズベキスタンはソビエト連邦国家の一国として長い間社会主義体制を歩んできたが、その間宗教の弾圧も行われ、過去に紹介した歴史的建造物のモスクやメドレセも当時は閉鎖され、物置にされていた時期がありました。宗教の弾圧の他に、西側の娯楽、政府批判なども禁止。そんな弾圧の中で比較的緩やかだったのが人形劇やアニメーションでした。


旧ソ連時代のチェコではパペット・ショー、マリオネット、ストップモーション・アニメは禁止されずに公開が続けられ、ヤン・シュヴァンクマイエル(一時期、秘密警察に検閲でフィルムを没収されたりしている。)イジー・トルンカ、カレル・ゼマンなど巨匠を輩出してきた。

ロシア(旧ソ連)でもユーリ・ノルシュテイン、ロマン・カチャーノフといったアニメーション監督が有名。

露骨な社会風刺や政府批判は検閲の対象になってきたようですが、セル画アニメや人形の映像表現としての豊かさは素晴らしいもので時代を超えて人気があります。

ウズベキスタンはイスラム教国(スンナ派多数)でしたが人形劇は昔からあったらしく、写真も残っている。
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19世紀後半頃の大道人形劇の一団。楽器演奏は二人として演者は上に手を伸ばして演じていたらしい。この腰上の舞台になっているところはどうなっているのか不思議だがこのようなスタイルだったそうだ。
英語ではbukhara`s puppet theatreで検索できる。

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人形の工房に入って制作者の弟子のひとりが人形の操作をやってくれた。首から下に伸びる支柱で首の操作を、裾の下に入れた手で人魚の両腕を操作する。お一つ如何と人形を勧められる。
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これまでに訪れた旅行者で偶然人形の顔が似ている方と写真を撮ったそうだ。
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人形の表情もお国柄がよく表れていると思うが、とてもアジアな雰囲気が表れていると思う。
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脇を固める人形も特徴的に滑稽に表現されている。
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制作の工程。
デッサンから粘土で立体を作り、頭の型を取ってその型から紙と糊を貼り付けて紙の頭部を作り、支柱を取り付け色を塗って衣装を着せて完成。
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ブハラハーンを元にした物語や先祖代々住む夫婦の話など日本昔ばなしと似たような話らしい。
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写真の彼が人形劇の師匠。世界的に有名らしい。
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歴史的書物の挿絵か詳細はわからないが操り人形を使って遊んでいたという絵。
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最年少の弟子。人形の頭部を制作中。型に紙を張り付けている。
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ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ、ラビハウズ他 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

中断していたウズベキスタン旅行記を再開します。もう一年以上前だというのに旅行記の半分も終わっていない!
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仕事がむちゃくちゃ忙しかったこともありますが、フィルムスキャンに時間がかかったことの他に、ウズベキスタン旅行に行った後で観光した場所を調べ直すことに時間がとられたこともあります。それぐらいウズベキスタン旅行はマイナーです。しかし風土、歴史遺産等、美しいことは言うまでもなく、中央アジア、シルクロードの遠い大陸を感じたいならお勧めです。
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ブハラは宗教的歴史遺産も数多くあり、メドレセの奥にもう一つメドレセがあるという密集地域があります。写真を元に立地場所、外観を確認してようやく画像を順番に載せるだけでも時間がかかってしまいます。
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少し移動してラビハウズの周辺を散策。写真はナディール・ディヴァンベキ・ハナカ。ハナカは巡礼宿、1619年に建てられた。ナディール・ディヴァンベキとはブハラ・ハーン国の大臣の名前でこの地の整備に一役買った人物だったようだ。ラビハウズもこのナディール・ディヴァンベキがつくったそうです。
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ハウズは四角く石で囲んだ池のこと、巡礼者の旅の疲れを癒した。ラクダの彫刻があるのは当時の面影を残したもの。
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歴史的遺産のすぐ隣でバルーンの遊具で遊ぶ子供たち。旅行当時は6月でもウズベキスタン国内の学校の夏休みは長く、6月から9月の3ヶ月間もある。
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ホジャさん乗るロバの銅像に子供を乗せる母。ナスレッディン・ホジャはイスラムでいう一休さんのような存在だが、実在説、否定説、出生、いつの時代の人かも伝説と小話が独り歩きして定かではありません。ティムールとのやりとりが有名なのですがトルコではトルコ人、ウズベクではウズベク人と言われている。共通していることはロバを愛し、旅の道中、問題をとんちでユーモアに解決するという形。なによりロバに乗っているのが愛嬌がある。
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ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。メドレセ(イスラム神学校)なのに門の上、両端に鳳凰が白い鹿をつかんで太陽へ昇ろうとしている装飾がある。これは偶像崇拝なのでもちろんイスラム世界ではご法度。なのにこのメドレセを作った大臣ナディール・以下略が「これはキャラバン・サライ(隊商宿)なので偶像を描いてもよいのだ。」と言ったが、いざ完成してみると「これはキャラバン・サライではない。メドレセだ。」と言ってメドレセにされたとか。なんとも宗教的に緩い感覚だったんだなと当時の大臣はそう決めたそうです。よかったのか?本当に。21世紀はモスクさえ破壊する原理主義だってあるのに。
中はお土産屋とレストランに改築されてある

この建物北側にすぐクカルダシュ・メドレセがあるんですけどね。。
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中の様子。陽も傾いた夕方頃。夕食の準備がされていた。
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こちらがクカルダシュ・メドレセ。16世紀の大臣クカルダシュが作ったメドレセ。タシケントにもあるので当時の大臣の名声がうかがえる。ナディール大臣はこれに対抗したかったのかほんとにすぐ近くにあるのだ。
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タキ・バザール、マゴキ・アッタリ・モスク他 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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ウズベキスタンの工芸品は色々あり、中でも茶碗の原型とも思える形のお椀がたくさん売られてある。湯呑は平茶碗が一般的。

もちろん大量生産のはずなのだが、皿でも茶碗でもまったく同じ柄というのが存在しない。見つけるのが難しいぐらいなのでここが不思議。配色は同じでも模様のパターンが若干異なってあり、好みの模様を探すのも面白い。

これは良し悪しがあるが陶器の土がよくないのか、湯呑も皿も分厚く、高台や口の部分がかけてしまっているのもあるので買うときには注意したい。後、釉薬が悪いのかそれも取れてしまっていたり、不純物が付着して凹凸があるものもある。模様は素晴らしくとも絵付けが雑というのもあり、それだけいいものを探していると時間がかかる。小さな湯呑で5ドル、少し大きな御飯茶碗サイズ(スープ皿)で8ドル、平皿で16ドル程だが店主と交渉して値切ることもできる。
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マゴキ・アッタリ・モスク。発見は1936年と、それまでは5m下の地中に埋もれていた。モスクの壁は3層に分かれていて、これは破壊と再建築を繰り返した証でもある。下が彫刻されたレンガ層で仏教寺院だった頃のもの。中段がアラベスク模様のゾロアスター教、上段がブルーのタイルを貼ったイスラム教建築のもの。まだ当時のタイルが少し残っている。中はウズベキスタンの絨毯博物館に変化している。
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タペストリー。
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トルコ絨毯の記事でも載せましたが、絨毯は各家庭に伝わる柄や新たなデザインが考え出されていて奥が深い。ウズベク絨毯はザクロから抽出される赤い色素からなる絨毯が好まれている様子。
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鳥の頭を模したハサミ。
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チューリップ柄のテーブルクロス
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タキ・バザールを抜けたところにアブドゥールアジス・ハーン・メドレセがあります。向かい側にウルグ・ベク・メドレセがあるはずなのですが、アブドゥールアジス・ハーン・メドレセの写真これ一枚きり。このあたりはメドレセ(神学校)だらけ。ただ内部がお土産屋さんに代わっているメドレセが多いようです。
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現在も発掘調査中だというハマムの跡。広く大きい。
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カラーン・ミナレット、ミル・アラブ・メドレセ [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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『カラーン』とはタジク語で『大きい』という意味らしい。ミナレットは46mもあり、中は螺旋階段になっていて頂上まで登ることができる。19世紀ごろまでは罪人の処刑場で袋詰めにされて塔の上から投げ落とされていたらしい。左がカラーン・モスク。チンギス・ハーンが攻め込んだ時には破壊の限りを尽くしたブハラも、このカラーン・ミナレットは壊されずに残したそうです。
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カラーン・モスクの前で露店を出すお爺さん。判子染めに使う木の判子を売っている。
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カラーン・モスクの正面にあるのがミル・アラブ・メドレセ。ソ連時代も活動中だったそうですが現在も神学校として機能しているそうです。
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メドレセの中は静かで白い壁が落ち着いた雰囲気。
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カラーン・モスク [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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アルク城観光の後でお昼を食べたレストラン。キャラバンサライ風(隊商宿)のお店。料理は前記事を参照下さい。
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一旦ホテルに帰って休憩。社会主義を経験した国の街並みは区間整備されていてどこも綺麗なのだが、冷たい雰囲気もある。
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カラーン・モスクへ。車を降りて道中、観光客相手のお土産屋が並ぶ。シーズン中なのに人通りも少なく、ガランとしていて不思議な空間だった。
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そしてカラーン・モスクへ。威風堂々の佇まい、真っ青な空に水色のタイル。これがウズベクの色だ。
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アルク城 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

バラハウズ・モスクの向かい側にあるのがアルク城。そもそもバラハウズ・モスクはハーン専用のモスクだった。ハーンはアルク城からモスクまでを絨毯で敷き、礼拝していたという。

アルク城の入口は馬で入れるよう緩やかなスロープ状になっている。
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中はアルク城歴代ハーンの品物と歴史の紹介。古くは紀元前4世紀ごろからの出土品が出てきているのでこの城を中心にブハラの歴史発祥の地とされています。7世紀にはアラブと戦い、13世紀にはチンギス・ハーンと、1920年代にはロシア赤軍が城を爆撃してまた荒廃したという。(南下政策でブハラ・アミール国がロシア帝国の保護国に→その後ロシア革命で赤軍の支援を受けた人民軍がアルク城を攻めて陥落。)
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構造としては小さな山を削って城壁を作った高台のような構造。木造の建築は歴史の中で破壊と再築を繰り返した。
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ハーンや部族長が議会などをする議場。ウズベキスタンも年中天気がよいと外の方が気持ちがよい。ウズベク2 (25).jpg
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王座。ブハラ・アミール国は広大な土地と権力を持っていたのに王座は割と質素。主に絨毯の上に胡座をかくのが文化だったので椅子が登場したのは近代かと思われる。現地の観光客も記念写真を撮っていた。
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城の上にある馬場。
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現地観光客も良く来るようだ。
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バラハウズ・モスク その2 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

モスクの中へ。日本人旅行者の今後の旅の安全を祈願してこのモスクの管理人にアラーへ祈祷をしてもらった。祈祷はさすがのいい声でメロディのようである。ガランとしたモスクに祈祷の声が響く。
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こちらの若い女性の格好は色とりどりの伝統的刺繍のワンピースに日傘が一般的。水色はこの国の色でもある。
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