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UZBEKISTANへ [日記]

スペイン旅行記が前代記事未聞の30を超え、間に合わない様相の中、次の旅行の出発が迫る!

今度はウズベキスタン共和国です。

6月中には帰りますが、この慌ただしさ!


ウズベキスタン共和国大使館からのガイドから

ウズベキスタン共和国』O’zbekiston Respublikasi

首都 タシケント
面積 44万400㎢
住民 ウズベク人85% ロシア人5% タジク人4%
言語 ウズベク語(テュルク諸語属) 表記はラテン語だが新聞、紙幣はキリル文字。ロシア語がほとんど通じる。
宗教 イスラム教スンニ派 独立後は世俗教育で緩やか。他ロシア正教など。
気候 典型的な大陸性気候で夏暑く、冬寒い。昼夜の気温差も大きい。

91年ソ連崩壊で独立。

北はカザフスタン、東にキルギス、タジキスタン、南にアフガニスタン、トルクメニスタンに囲まれる。

シルクロードでは栄え、交通の要所だった所。


布製品、工芸品や民芸品など魅力あふれる国だ。
http://youtu.be/SO4_1z_MbgM
ウズベキスタン国歌
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飲み会幹事 [日記]

ひょんなことから飲み会の幹事を任された。覚書程度に書いておく。



会社の先輩のおめでたい席を用意しろと頼まれたのだが予定日が決まっていて一週間前と早速時間がなかった。

まず主賓にどんなお店が良いか希望を聞いた。とくにこだわらないので幹事が決めてよいということになった。

飲み会のお店と言ってもどこが良いのか分からないので会社の同僚先輩らに聞いて店を決定。

飲み会に誘う人数、名簿をある程度決める。(結局人数は増えてしまう可能性もある。)
お酒を飲める人、飲めない人も聞いておく。

飲み会を開く店に訪れ、メニューを確認後、交渉。
宴会コースがもしあればコース料理を確認。自慢の一品があれば料理の変更も交渉。

コースの金額がもし高い場合は金額を割り引くよりメニューを増やした方がよい場合もある。
金額は人数に比例するが多人数の飲み会の場合は主催の分だけ割り引いて交渉した。
飲み放題なら飲み放題メニューも確認。

座る場所、座席数に限りがあるならそれも。
支払いは現金かカードも聞かれる場合もある。

大体の人数と開催時間、金額、お店、メニューを決定後、飲み会開催の一斉送信。
参加不参加を1日前までに返信をお願いして人数を確定。お店に連絡。
ギリギリまで分からない人も一応参加を聞いておく。

飲み会当日は早めに来店して最終確認。
人数の確認は最後まで分からないのでお店の人に連絡。

簡単な乾杯の一言を言う。
飲み会のお金の回収は前か最中か迷うが飲み会の中行った。支払った人、金額を確認。
おつりは事前に用意しておく。

こんな感じでした。
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訪問 [日記]

訪問日の前日に亡くなった友人宅に電話をした。訪問時間と車で訪問するので駐車は大丈夫かを言う為だったが、今回は彼の祖母が出てくれた。ほか親族は仕事でいないので日曜なら大丈夫とのことだった。亡くなった孫も喜んでくれると言ってくれたが、言葉の裏に悲哀が感じてならなかった。

その後花屋に連絡をし、仏壇用の花を一対注文した。仏壇用の花は色を入れてもよいかなど色々とあるようだったが葬式ではないので、値段の上限を言ってお店にお任せした。花だけではいけないかと線香も買って包んでもらい、訪問の準備をした。


事前に色々決めていたので訪問日はスムーズに事が進んだ。午後、友人宅に集合して3人で少し話をして車に乗ってまずは花屋へ行って花を受け取る。黄砂が混じる雨であいにくの天気だったが予定時間調度に到着した。


ドアチャイムを押して出迎えてくれたのは彼の母親だった。亡くなった友人とは家が近いこともあってよく遊びにいっていたので彼の母親とも面識があり、彼の母親も私のことを覚えてくれていた。さっそく仏壇がある部屋に案内してくれた。先祖代々の立派な仏壇の隣に彼の顔が入った写真と携帯電話が飾られてあった。

さっそくロウソクに火をともしてくれて、線香も差して順番に手を合わせる。花と線香を差し上げ、涙ぐむ彼の母親を見るのはとても辛い場面だった。

コーヒーにケーキも出されてとても気を使ってくれる。
まずは実家の母親から彼の死を知り、高校時代の友人らに連絡を取って彼の死を悼んで訪問したいと計画し、葉書を出した事、お線香でもあげたいと訪問に至った経緯を言う。


あまり面識のなかった友人2人を紹介し、高校時代の話や彼の人柄や近況を話した。亡くなった友人は車が好きで高校卒業後、自動車整備の専門学校で2年間は松山に行った事。就職してスバルの自動車整備の職を持っていたが、仕事の不平や人間関係で悩んだり、休日が水曜だけなので辛いなど色々話してくれた。最近は山登りに興味を持ってブーツや装備を買ったりしていたようだ。彼の携帯に保存されていた画像をプリントしてアルバムにまとめていた。近況の彼の顔写真があまりないのでそれが辛いとまた話してくれた。

彼の家は元々農家で農具などを入れておく離れがあり、そこを改築して彼の部屋として使っていた。彼は11月に仕事の後で酒を大量に飲んで急性アルコール中毒で意識を失いそこで倒れた。朝、起しに来た母親が発見、すぐに救急車が呼ばれ、蘇生が試みられたが一度脈は戻ったもののそのまま急死してしまった。母親は彼の出勤前に弁当を作っていた後だったという。
余りに辛いことだったので近所の人には知らせず、近親者と職場の人たちだけで密かに葬儀が行われたそうだ。

高校の卒業アルバムを出してくれて話が弾む。中学の友人が数人訃報を聞いてすでに訪問していた事も話してくれた。実家の母に知らせが届いたのは少し遅かった様子。

1時間半ほど話してそろそろとおいとまとした。死んだ友人もどこかで見ているでしょうと励まして。車で出るギリギリまで送り出してもらった。友人が死んだ後ではこの家に訪問する事もないだろうと思う。友人と一緒に遊びにいくこともできなくなってしまった。

訪問後、近いこともあって私の家で短いながらも反省会をした。うちの母も同席したが友人二人と私にもしっかり生きていかないといけないと話してくれた。


私が思ったのはやはり人は一人ではないということだった。「人は生まれながらに孤独」という言葉を発した人もいたが、生まれてから一人で生きていけるわけでもないし、人は人と接して成長していく。人の存在の大きさはそれぞれだと思うが、幼馴染が死んでより一層感傷的になってしまった。死んで悲しんでいる人がいるなら一人ではないということ。

最後に友人2人と別れた。また再会できることを約束して。
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寂しい帰郷 [日記]

亡くなった友人の家に葉書を出した。

親しかった高校時代の友人二人に連絡を取って、亡くなった友人に会いに行きたい趣旨を書いた。いつ頃がよいかというのはあいまいに三月とふってあったのだが、いつ頃がいいのかと友人らと一緒に集まって話をしようということになった。

亡くなった友人の家は私の家からも近いが、彼の墓が実家から見える位置にあるというので、実家に帰省後、すぐにその墓の場所に向かった。

墓石の横に真新しい墓誌があって、そこにはすでに友人の名も書いてあった。そこで初めて亡くなった日がわかった。

墓石は先祖代々の墓らしく年月が経っているようだが、よく手入れが行き届いてあり、活けてあった花もまだ真新しかった。ラッキーストライクと缶ビールが供えてあった。寒風吹きすさぶ田畑に囲まれた小さな墓地だった。

7年ぶりの再会が墓前という最悪の場面である。実家が近いので小さな頃からお互い仲良くやっていたのに、就職後は会う機会が減ってしまっていた。私が帰省中ならいつでも会える環境だったのに、これが親しい仲だった友人との再会か?と思ったが、顔が見えなくても再会なのだ。彼の名前の入った墓誌でようやく彼の死を感じる。でも顔が見えないと死んでいるとは思えない。

午後から友人A君の家で三人が集まった。高校卒業以来会ってなかったもう一人の友人B君とは9年ぶりの再会だった。まずは友人の死の知らせを母から聞いた話から始まり、葉書を出したことと、高校時代の話が弾む。とにかくは訪問日はいつ頃がよいかを話して、葉書にはこちらから連絡すると書いてあったので亡くなった彼の実家に電話をして予定を組むという算段になった。少し緊張して私が代表して電話をした。

家族葬で亡くなったのを公表していないままなので、突然の私からの電話は驚いた様子だったが葉書を出していたのが功を奏したのか、名前を覚えてくれていて、すんなりと訪問日を決める事ができた。電話に出たのは亡くなった彼の父親だった。母親のことが気がかりだが仏壇でも彼に会えることができそうだ。

最後に彼の墓を友人二人に案内した。墓誌に名前があるので確かに亡くなっている。線香をあげて三人で交代して手を合わせた。後日また再会しようと別れた。
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死んだ友人へ [日記]

急性アルコール中毒で死んだ友人へ。





私はなによりその死んだ友人に問い詰めたい。




親を不幸にするな!



俺を悲しませるな!



なんで死んだ!



お前は自分勝手過ぎだ!


中学まで勉強は俺と同様できなかったが、遊ぶことに関してやユーモアのセンスとお前は一流だったよ!エロい話もたくさんした。ゲームのことやお前の好きだったスケボーのことやおもろいことをたくさん話してくれたよな。お前は高校のときは親に隠れて煙草を吸ってたよな。お金が欲しくて無断で飲食店でバイトを受けて仕事ができないからと一日でやめさせられ、給料を渋られたことも話してくれたよな。俺が専門学校入ってバイク買って後ろに乗せたのはお前が初めてだったんだぞ。



お前が死んだ事を俺は友達に伝えないといけないんだぞ!そして詳細をお前のオカンに会って聞きださないといけないんだぞ。それがどんなに残酷なことなのか想像しなかったのか?もう7年も顔見なかったけどお前のことは忘れてたわけじゃないぞ!2010年1月14日にアドレスの変更を伝えるメールがお前と俺との最後だったんだぞ!



葉書を送ったから会いに行かないといけない。辛いことだがこれはやらないといけない。
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旧友の死 [日記]

あまりにも突然の話を聞くと人はそれを信じることができない。




幼稚園の頃からの旧友が死んだという話を聞いた。


どういうことなのか情報源の実家の母から詳しい話を聞く。友人らと一緒に飲んでいて急性アルコール中毒で昨年11月に亡くなっていたというのだ。彼の家は一人っ子。近親者でひっそりと家族葬だったのでお悔やみの情報が表に出なかったらしい。遅生まれでまだ26歳。



家が近く、同い年だというのでよくお互いの家に遊びに行ったりした。幼稚園~高校まで同じ、クラスは違えども時々会っては話をしたりしていた。最後に会ったのは高校卒業後、私は専門学校に入って夏休みに帰省している頃。突然メールが入り、夜のドライブに行かないかと誘われる。ドライブと言っても同じ県内の心霊スポットを巡るだけだったのだが、もう一人高校時代の友人を誘って3人で取りとめない話をして帰った。
彼は車が好きで学校もスバルの車を整備をする所だという話を聞いていた。

小学校の頃はミニ四駆やハイパーヨーヨーにハマったり、高校の頃はスケボーにハマり、その話をしたりと色々楽しかったのだが…

あまりの突拍子のない話にまったく信じられない。死ぬには若過ぎる。少しうっかりした所もあったが彼が死ぬなんて想像もつかないことだったから…

高校2年ぐらいの時に彼が自転車で登校中に道路を斜めに横断しようとして前から来る車に気づかず、正面からぶつかって自転車は大破して身体は全くの無傷だったこともあった。学校の帰りに話を聞いて現場を検証してみた。進学校ではなかったが専門学校へ入学が決まって、時間をもて余していた仲の良い4人で帰りに道草をしたり、うどん屋にいったりしていた。
そんなあいつが死ぬなんて…



仲が悪くなったというわけでもないが、就職してから忙しくなり、実家の帰省も突然の思いつきだったり予定があったりで連絡を取れずにいたのだが、最後に会ってから8年程経っている。3年程前に携帯メールアドレスの変更の知らせを受けたことがあったのだがそれっきりだ。

詳しい話を聞きたくも、母も人伝いなので詳細を知らない。もう少し時間が経ったら話を聞きに彼の家に行きたい。高校時代の友人も連れて。
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インフルエンザA型 [日記]

某日朝、布団を被っているのに異常な寒気に襲われて熱を測ってみると37.8度。昨年は変な季節に2回も風邪をひいたことがあったのだが、期間でみると半年の中で2回風邪をひいていた計算になる。今回風邪だと3回目なのだが、しょうがないので会社に病院に行ってからもう一度連絡すると連絡。以前風邪をひいたときにもらった解熱剤の残りを飲んで、行きつけの耳鼻科の開院を狙って外にでる。

着いてみると中は空いていたのでスムーズに診断を受けた。医者に症状を報告。以前もらった薬を飲んだこと。前日に下痢、少し咳こむぐらいで喉も痛くなく、鼻水も出ない。熱だけあるという変な症状なのだが医者からは「職場でインフルエンザが流行っていることはないか?」と聞かれた。昨年末以来、職場で注意するようなことはなかったのだが、鼻にインフルエンザ用の検査棒らしい物を奥の方まで差し込まれ、しばし診察ベッドで待たされる。5分も待つと呼ばれたのだが医者が言うにはインフルエンザA型に感染しているという。薬を出すまで診察ベッドで待たされマスクももらった。

なんと出勤はしばらく無理になってしまった。診察料、処方せんをもらって外に出て薬局に薬をお願いする。その間に会社に連絡。調度仕事は多忙ではなかったのだが、予定外なことなので少々動揺する。薬をもらって親に連絡。帰り道にスーパーで買い物。簡単にできる温まる料理と思っていたらメニューは「おでん」に決まった。野菜ジュースにキウイも買ってビタミンCも摂取と栄養を考えてマンション部屋へ帰る。私は風邪をひいて熱が出ていても動ける体質でその間も食欲があるのが自慢だった。以前ウイルス性腸炎にかかった時は食欲が数日に渡って減退したが、今回も大丈夫だろうと楽観視していた。

帰って最初の薬を飲む。タミフルも処方されたが飲むのは初めてだった。まだ昼前だったのだが少し調べ物をして昼寝。時々起きたようなのだが発熱のせいでよく覚えていない。17時頃にようやく起きて先日の晩御飯の残り(ちゃんこ鍋)を食べようかとしたが健康時程、食欲が出なかった。御飯を残してしまい熱を測ると38.6度。薬を飲んで眠る。

薬を病院から帰ってすぐに飲んだので昼食を食べずに眠ってしまった。深夜に起きたら食べて薬も飲もうかと思っていたが、二回目の薬を飲んだ後もなかなか眠れない。熱のせいで寒気がひどく、布団を被っても身体が自然と丸まってそれでも眠ろうとする。しばらくすると寒気から発熱に変わって布団の調整が難しくなる。身体は熱いが布団を除けると寒い。なかなか眠れないうちに21時を回る。もう深夜飯は食べれそうにない。熱を測ると39.6度。あまりの熱に体温計を見間違えそうになったがこの現実を受け入れるしかない。このままの状態では眠れない。夜はまだまだある。発熱で全く眠れないので3回目の薬を飲んで寝ることに。薬を飲んだ後でもこのままいくと救急車を呼ばなくては行けないかと考えたりして気が気でなかった。

その後はよく覚えていない。薬も発熱時のとんぷく薬を飲んで眠れるようにまで熱が下がった様子だった。深夜にも数回起きたようだが朝まで眠れた。朝、熱を測ると37.9度。初日と変わらない。朝食にトースト、ジャム、ホットミルク。昼寝をして昼食に納豆ご飯。御飯は少なく小分けして冷凍保存した。また寝ると夜になっていた。おでんと御飯で夕食。熱は38.1度。

次の日からは36度代にまで下がったので峠は越した様子。次の日の朝37.1度まで上がったりもしたが熱が下がって2日間はウイルスの感染力が高いという。発病してから少し耳がおかしいが薬の副作用の可能性もある。今はその違和感も無くなったので完治したと思う。長引くかなと思っていたインフルエンザ。2日で熱が引いたのは幸運だったかも。
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オリーブの丘 スペインの旅 [日記]

土曜日にスペインから帰国しました。今の季節では湿度のある大阪の方が暖かい。

スペインはどうだったかといいますと素晴らしいの一言だった。照りつける太陽の日差し、ゴツゴツした山と渓谷、オリーブ、ぶどう、オレンジの樹の丘、見渡す限りの畑、石積みの素朴な建物。見る物全てが素晴らしいと思える風景の連続だった。食事はまあまあだったが野菜が少なかったかな?
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バルセロナ。サグラダ・ファミリアは確かにすごい建築だが美しさ壮大さの割には美ばっかり追求し過ぎてモロそうという印象。たしかに凄いのだが無理な形の石積みだと怖い。
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バレンシア。土地が綺麗というか日本と真逆の景色がより美しいと感じる。木のない山がポコポコあったり、地平線から日の出が観れたり。
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アンダルシア、グラナダ。アルハンブラ宮殿から眼下のアルバイシンの街。
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アンダルシア、ロンダ。白い壁の街、澄んだ空と影のコントラスト。芸術家が愛したとは気候と風土によるものだろう。
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ロンダ、ヌエボ橋の近くから。
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セビリア、スペイン広場。
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残念ながら小雨降るマドリード、ラ・マンチャ地方コンスエグラの町の風車。風車は粉引き用だそうだ。
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マドリード、トレドの街。とにかく狭いが石積みの街はとても美しい。

写真は36枚撮り23本。コンパクトデジカメは600枚程。そんなこんなでスペイン旅行記が開始されます。
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spain!西班牙!スペイン! [日記]

恒例家族海外旅行。今回はスペイン!ということで出発は来週です。

来週ですよ来週。

今まで準備に忙しいとか色々あったのですが、毎年バタバタしっぱなしです。

スペイン映画を見て情報を得るぞと思ったら既出の映画3本だけでした。
内2本は観たことある作品だったのですが覚えていないことも多くて発見もあった。

スペインというと

牛、豚、トマト、パエリア、闘牛、祭り、ラテン、ギター、フラメンコ、
フランシスコ・ザビエル、ビクトル・エリセ、ピカソ、

ベサメ・ムーチョってメキシコの曲だったんだと最近知った私。『裸のガンを持つ男』から知ったっけ?あれもメキシコっぽい格好をしてたが…。


今回の旅に闘牛場見学はないのですがスペイン文化の研究として。闘牛の牛の背中に垂れてるのは銛だそうです。最後に剣で止めを刺すのが進行らしい。残酷な見世物ではあるが、命をかけたこの真剣勝負の瞬間がここにあり。一度見てみたい。動物愛護団体から近年バッシングが強くなっている様子だが、牛肉を食べる我々は誰かが殺した肉を何も気にせず食べているというのは如何なものかと考えさせられる。ちょっとグロイ様子だが。

牛追い祭りも有名。それにしても危険!

スペインのフレスコ画「無断修復」の女性、著作権料を求めて訴訟へ
お土産屋でこの画のグッズが売ってたら欲しい。マグカップとかあれば。
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職と生活 [日記]

仕事は生活に左右されると人は言う。その通りだと思う。

職と生活はどうしても切り離されないものだと思う。

そんなこんなで今の職場に就職してからもう6年、後3ヶ月働けば7年になる。


先日誕生日を迎えました。誕生日過ぎて実家に帰省すると両親一緒に近所の小料理屋に行って祝ってくれました。出てくる料理も素晴らしく、細工を施した料理の数々に食を楽しむとはこのことだなと楽しく過ごしました。

実は職場で嫌なニュースを聞いていたので今回の帰省はその話題になった。今の生活はこの後も続くのか?それだけ不安も感じるようになった。

次の日、思い立ってこんぴらさんに行ってみた。実家からバイクで1時間少々かかる所だが、ここら辺はいつも賑わっている。去年は『事件』があったので疲れて行けず、2年ぶりのこんぴらさん。今はもう亡くなったおばあちゃんの家が琴平にあったのだが、その跡を探してみたが中々思い出せなかった。数枚画像を撮った。まだまだ暑かったがこんぴらさんの御本宮と展望台まで785段の階段を登って一息入れる。おみくじを引くと「末吉」だった。悪いことはなく、「これから良いことがありますよ。」と無難なことが書いてあった。
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