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旅順:東鶏冠山北堡塁跡 その1 [中国東北部、旧満州の旅(15年6月)]

大連のホテルで一泊、この日が旅行最後になりました。
ここから旅順:東鶏冠山北堡塁(ひがしけいかんざんきたほうるい)跡へ。日露戦争、旅順攻略の激戦地です。
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ここから駐車場。日露両軍のつわものどもが夢のあと。114年前のできごと。
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駐車場にあった露店のお土産屋さん。ここにはロシア人も中国人も観光に来ないのでもっぱら日本人しか来ないらしい。

ここからロシアのWEBサイトから無断掲載発見した日露戦争当時の写真を交互に載せていきます。ロシア語検索で色々見つかった画像の中から東鶏冠山、二百三高地と、ひとくくりに旅順攻囲戦「Порт-Артура」(二百三高地が英語で「Port Arther」)と表記されているので正確にはどこがどこなのかわかりません。
狭い地域に帝政ロシア軍守備隊5万。乃木将軍率いる第三軍5万が4か月に渡って死闘を繰り広げた。

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向こうに見える特徴的な三つの山系。旅順攻囲戦初期かと推測。
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公園入口。日本軍陣地側から歩きます。
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東鶏冠山は旅順要塞の中でも三大永久要塞と謳われた。周囲は敵の砲撃に屈しない厚いコンクリートで覆われ、外側の隠れた銃眼から一斉射撃も可能と、敵の攻撃に耐えられる陣地が組まれていた。
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塹壕の跡、114年経っても残る。
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観光地あるあるの記念写真を撮らせてお金を支払う商人。チープな機関銃の模型と一緒に塹壕での記念写真を撮るというもの。
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日本軍の爆破口跡。べトン(ドイツ語:コンクリート)でガチガチに固めた要塞に突破口を開こうと日本軍は塹壕を掘り進め、地下坑道を掘って2トンの爆薬を仕掛けて爆破。ようやく占領できた。
第三回総攻撃の始まり、1904年11月26日の爆破口がここだそうだ。
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