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アフラシャブの丘、歴史資料館 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

アフラシャブ・ミュージアムの裏に『アフラシャブの丘』があります。
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チンギス・ハーンがこのサマルカンドの地を破壊する前にはアフラシャブの丘には紀元前500年~紀元後1220年の間、街が存在していたそうです。水道の設備が作られ、街は栄えていたそうですが、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍が街を徹底的に破壊。建物は一切なくなり、この丘の地下から出土する遺跡が街があったことをわずかながらに残すだけになってしまいました。一つの街や人種までも駆逐するチンギス・ハーンとやいかに恐ろしい存在だったのか…。
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歴史資料館の中に入ったところで停電。ウズベキスタンもまだまだインフラが充実していない様子で真昼間だが窓の少ない資料館の中を懐中電灯で説明を受ける。エアコンも止まって暑い。
シルクロードを中心にソグド人の紹介も。
ソグド人とは紀元前から12世紀ころまでシルクロードの交易経済を実質的に支配していた民族。定住を持たずに商業を得意とし、独自のソグド語を話、ソグド文字(ウイグル文字の祖)を使っていた。

定住を持たなかったので12世紀ごろには民族性はイスラム化か他の民族に吸収されてしまったという現在でも謎が多い。現在でもソクド語を理解するのは世界で二人。ロシアの人類学者と一人は何と日本人、現在でも遺跡発掘に活躍中の国立民族学博物館名誉教授の加藤九祚氏。ウズベキスタンで著名な日本人というとこの方。
1998年、ウズベキスタン科学アカデミー考古学研究所と共同で、テルメズ郊外カラテパでクシャン時代の仏教遺跡の発掘を開始、現在も発掘継続中。
2002年ウズベキスタン政府より「ドストリク」(友好)勲章、テルメズ市より「名誉市民」章を受ける。
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出土したオマルという遺骨を納める入れ物。
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