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グリ・アミール廟 [ウズベキスタン旅行記(13年6月)]

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サマルカンドのランドマークといえばレギスタン広場とここ、グリ・アミール廟。ティムール一族が眠る。1403年に最愛の孫ムハンマド・スルタンを亡くしたのを機に建築を開始。ティムール自身は故郷のシャフリサーブスのアクサライ宮殿近くに墓の建築を進めていたようですが、1405年に中国の軍事遠征中に亡くなると、冬の雪でシャフリサーブスへの道が閉ざされたので仕方なくここに埋葬されたとのこと。
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真ん中をティムールの棺にして正確に東西南北に棺を置いている。
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装飾は全て金。実は何度も盗難の被害があったようですが1996年の修復の際には3kgの金が使われたとのこと。
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ティムールの棺を中心にして
北側:ティムールの師のミルサイード・スルタン、孫の一人
南側:ウルグ・ベク(孫)
東側:ムハンマド・スルタン(孫)
西側:シャー・ルフ(息子)、ミランシャー(息子)、孫の一人
だそうです。

実際に棺の中にはティムールの遺体はなく、この地下3メートルの所に遺体が安置されているそうです。裏口から入る所があるそうですが一般公開は禁止。
1941年6月22日にソ連の考古学者がティムールの棺を開けて調べたところ、ティムールの右手左足が不自由だったことが確認されました。棺の裏には

『私がこの墓から出た時には大きな災いが起こるだろう。』

と書いてあったそうです。その数分後、ドイツ軍がソ連に侵攻を開始したニュースが飛び込んできたという嘘みたいな話があるそうです。4年の戦争の後、ソ連軍はドイツ軍を撃退しますが1500万~2000万の死者を出すことになります。恐れを感じてティムールの棺の蓋は二度と開けられないように溶接されてあるそうです。
ティムールの征服戦争(中央アジア、ペルシャ、トルキスタン、イラク、シリア、南ロシア、インド)の死亡者数は推定2000万人ということですがモンゴル帝国再建の野望を抱いたティムールはここに眠っている。
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