アドリア海の真珠 [日記]
さっそく1ヶ月以上放置のブログ主。
仕事が多忙につき休む暇もなく、ログインの仕方を忘れてさぁ困った。
ようやくIDを思い出して入力。ぼちぼちアップしていきます。
ウズベキスタン旅行記前にスロベニア、クロアチア旅行記の料理編までを先にUPしていこうかと思います。
今までの旅行記ではメインカメラにMINOLTA SWEETという一眼フィルムカメラにTAMRON 28-80mmマクロレンズでMF撮影していました。そしてサブに暗い場所、近接撮影用にCanon IXY Digital 910ISを利用していました。
今回は画像の二台、FUJIFILM X20というコンデジをメインにサブをFUJIFILM KLASSE-W(コンパクトフィルムカメラ)にし、もしもの時の撮影用にCanon 910IS(コンデジ)の三台体制にしてみました。コンデジなのに一眼っぽいスタイルのX20には購入当時からワクワクしていましたが、撮影はやはり使い慣れていなかったせいで少し不本意です。それにこのX20の特徴である、バッテリーの持ちが非常に悪く、スペアをもう二つ用意して旅に持っていきました。
ショルダーバッグに3台のカメラを持ち歩きながらの撮影はスマートではなかったと反省。でもフィルムでも撮影したいし、これからはこの三台が旅カメラになるかな~と。
スロベニア、首都リュブリャナのリュブリニャツィ川。向こうは三本橋。
クロアチアについたがさっそくお昼を食べてスロベニアに入国。スロベニアはEUに入って通貨もユーロ。今回の旅ではクロアチアの通貨クーナと、ユーロに物価計算で円変換したりで、買い物の計算がえらくややっこしかった。
スロベニア北部、ブレッド湖の中にはスロベニア唯一の島、ブレッド島。そこある聖母被昇天教会。風光明媚とはよくいったもの。自然と溶け合う素晴らしい教会の佇まい。アルプスの山々が見える湖畔の美しさ。エメラルドグリーンの水色はバクテリアによるもの。美しさに見とれてあまりいい写真が取れなかった。
ポストイナ鍾乳洞。ヨーロッパ最大の鍾乳洞。全長は分かっているだけで20数km、一般公開は5km程度。とにかく広く、大きな地底の空間に神秘的ロマンがあふれている。
クロアチアに再入国後のスプリットの街、山側。スロベニア、クロアチアと自然の美しさが印象的だった。
知らなかったがボスニア・ヘルツェゴビナはクロアチアに挟まれてアドリア海に抜ける場所がある。ドブロヴニクは飛び地で、このボスニア・ヘルツェゴビナ国境の町、ネウムを通らないといけない。クロアチアとボスニアの両国関係はそれほど悪いものではないので国境の税関はそれほど厳しいものではない。ボスニアの方が物価が安いのでクロアチアからわざわざこちらに入国して買い物をする人も多いらしい。ボスニアはここの地域だけユーロで買い物もできる。
ドブロヴニク観光前日に泊まったホテルの窓から。
アドリア海の素晴らしさとは波がほとんど立たない静かな海岸。磯臭くない。漂着物がない。入り江がたくさんあって小さなプライベートビーチが多数ある。海産物が豊富。まさにリゾート地といった印象だがゴテゴテした建築もないので落ち着いた雰囲気がある。
少し離れたところからアドリア海の真珠、世界遺産ドブロヴニクの街並み。劇作家バーナード・ショーは1929年にここを訪れて「この世の楽園を見たければドブロヴニクを訪れよ。」と賛辞を送ったという。中世からラグーサ共和国がこの地を海洋貿易で発展させた。城壁に囲まれた歴史的街並みは青いアドリア海と相まってとても美しい。
ドブロヴニクを見下ろせるスルジ山の頂きには戦争展示館がある。世界の観光客が魅了したドブロヴニクも1991年にはユーゴスラビア崩壊に合わせてクロアチア独立を反対する旧ユーゴ派(セルビア勢力)が激しい砲撃を浴びせて街は破壊された。元は同じ国の人間で言葉もクロアチア語、セルビア語も方言程度でしか違わない。セルビア勢力のT-34/85戦車(第二次大戦中のソ連製戦車。生産数が多いので冷戦中東側国家に安価で輸出された。)を撃破したクロアチア独立派の兵隊。こういった記念写真もみなピースサインで笑顔で写っているのが辛い。
モンテネグロに入国後、世界遺産コトルの街。以外と知られていないが日本とモンテネグロの関係。実は100年近く戦争状態だったという驚きの事実。
1904年の日露戦争。大国ロシアと弱小日本の戦争勃発では日本の奇跡的な大勝利で、当時ロシア勢力拡大に憤慨していた国々が日本の勝利に湧いた。しかしそんな大国ロシアに追従して独立を保っていた小さな国家がモンテネグロだった。国際法上日本に参戦していながらも講和会議ではモンテネグロは出席を忘れ去られ、第一次大戦が勃発のゴタゴタからユーゴ編入、第二次大戦、チトー独裁、解体後独立したのは2006年だった。
今回の旅は自然の美しさ、歴史的な街並みの美しさとも味わえて実に贅沢な旅でした。そしてなんといってもアドリア海の海の幸、オンシーズンの収穫されたばかりの農作物の美味さ。観光にも力を入れてるリゾート地。素晴らしい旅の一言でした。
仕事が多忙につき休む暇もなく、ログインの仕方を忘れてさぁ困った。
ようやくIDを思い出して入力。ぼちぼちアップしていきます。
ウズベキスタン旅行記前にスロベニア、クロアチア旅行記の料理編までを先にUPしていこうかと思います。
今までの旅行記ではメインカメラにMINOLTA SWEETという一眼フィルムカメラにTAMRON 28-80mmマクロレンズでMF撮影していました。そしてサブに暗い場所、近接撮影用にCanon IXY Digital 910ISを利用していました。
今回は画像の二台、FUJIFILM X20というコンデジをメインにサブをFUJIFILM KLASSE-W(コンパクトフィルムカメラ)にし、もしもの時の撮影用にCanon 910IS(コンデジ)の三台体制にしてみました。コンデジなのに一眼っぽいスタイルのX20には購入当時からワクワクしていましたが、撮影はやはり使い慣れていなかったせいで少し不本意です。それにこのX20の特徴である、バッテリーの持ちが非常に悪く、スペアをもう二つ用意して旅に持っていきました。
ショルダーバッグに3台のカメラを持ち歩きながらの撮影はスマートではなかったと反省。でもフィルムでも撮影したいし、これからはこの三台が旅カメラになるかな~と。
スロベニア、首都リュブリャナのリュブリニャツィ川。向こうは三本橋。
クロアチアについたがさっそくお昼を食べてスロベニアに入国。スロベニアはEUに入って通貨もユーロ。今回の旅ではクロアチアの通貨クーナと、ユーロに物価計算で円変換したりで、買い物の計算がえらくややっこしかった。
スロベニア北部、ブレッド湖の中にはスロベニア唯一の島、ブレッド島。そこある聖母被昇天教会。風光明媚とはよくいったもの。自然と溶け合う素晴らしい教会の佇まい。アルプスの山々が見える湖畔の美しさ。エメラルドグリーンの水色はバクテリアによるもの。美しさに見とれてあまりいい写真が取れなかった。
ポストイナ鍾乳洞。ヨーロッパ最大の鍾乳洞。全長は分かっているだけで20数km、一般公開は5km程度。とにかく広く、大きな地底の空間に神秘的ロマンがあふれている。
クロアチアに再入国後のスプリットの街、山側。スロベニア、クロアチアと自然の美しさが印象的だった。
知らなかったがボスニア・ヘルツェゴビナはクロアチアに挟まれてアドリア海に抜ける場所がある。ドブロヴニクは飛び地で、このボスニア・ヘルツェゴビナ国境の町、ネウムを通らないといけない。クロアチアとボスニアの両国関係はそれほど悪いものではないので国境の税関はそれほど厳しいものではない。ボスニアの方が物価が安いのでクロアチアからわざわざこちらに入国して買い物をする人も多いらしい。ボスニアはここの地域だけユーロで買い物もできる。
ドブロヴニク観光前日に泊まったホテルの窓から。
アドリア海の素晴らしさとは波がほとんど立たない静かな海岸。磯臭くない。漂着物がない。入り江がたくさんあって小さなプライベートビーチが多数ある。海産物が豊富。まさにリゾート地といった印象だがゴテゴテした建築もないので落ち着いた雰囲気がある。
少し離れたところからアドリア海の真珠、世界遺産ドブロヴニクの街並み。劇作家バーナード・ショーは1929年にここを訪れて「この世の楽園を見たければドブロヴニクを訪れよ。」と賛辞を送ったという。中世からラグーサ共和国がこの地を海洋貿易で発展させた。城壁に囲まれた歴史的街並みは青いアドリア海と相まってとても美しい。
ドブロヴニクを見下ろせるスルジ山の頂きには戦争展示館がある。世界の観光客が魅了したドブロヴニクも1991年にはユーゴスラビア崩壊に合わせてクロアチア独立を反対する旧ユーゴ派(セルビア勢力)が激しい砲撃を浴びせて街は破壊された。元は同じ国の人間で言葉もクロアチア語、セルビア語も方言程度でしか違わない。セルビア勢力のT-34/85戦車(第二次大戦中のソ連製戦車。生産数が多いので冷戦中東側国家に安価で輸出された。)を撃破したクロアチア独立派の兵隊。こういった記念写真もみなピースサインで笑顔で写っているのが辛い。
モンテネグロに入国後、世界遺産コトルの街。以外と知られていないが日本とモンテネグロの関係。実は100年近く戦争状態だったという驚きの事実。
1904年の日露戦争。大国ロシアと弱小日本の戦争勃発では日本の奇跡的な大勝利で、当時ロシア勢力拡大に憤慨していた国々が日本の勝利に湧いた。しかしそんな大国ロシアに追従して独立を保っていた小さな国家がモンテネグロだった。国際法上日本に参戦していながらも講和会議ではモンテネグロは出席を忘れ去られ、第一次大戦が勃発のゴタゴタからユーゴ編入、第二次大戦、チトー独裁、解体後独立したのは2006年だった。
今回の旅は自然の美しさ、歴史的な街並みの美しさとも味わえて実に贅沢な旅でした。そしてなんといってもアドリア海の海の幸、オンシーズンの収穫されたばかりの農作物の美味さ。観光にも力を入れてるリゾート地。素晴らしい旅の一言でした。
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